空席通信
2001.7.7 No.95

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思い出した話

 政治家の「日本神国」や「国体」といった発言をめぐって騒動があった。くだんの政治家が時の首相であり総選挙を控えた時期であったからか。
 普段からそのように考えていることをストレートに表明したら、それが大騒動になって一番驚いたのは当の首相だろう。
 問題は、そのような資質の政治家を首相に据えている政治感覚であるのに、その発言をめぐってのマスコミの報道はそれにはまったくふれない相変わらずセンセーショナルなものばかりであった。
 名前を棒読みにして「しんきろう」などと陰口された総理は世論の支持率が落ちて結局辞任した。

 それで思い出したことは、つぎのような話を日常的に聞かされて育った最期の世代は当時「少国民」と呼ばれた一九三〇年代生まれの人たちだろうということであった。

 彼らが物心つくころ、日本は中国と支那事変という戦争を遂行していて、やがてその戦争は大東亜戦争へと拡大した。彼らは、いわゆる「アジア・太平洋戦争」のなかで「天皇陛下の御為に死ね」と教育された少年期を過ごしたのである。

 次のような話とは、もう半世紀以上も前の話だ。
一九三七年の『少年倶楽部』八月号に収録されている「馬にへこまされたオランダ人」である。作者は金子光晴(一八九五〜一九七五・詩人)である。

 鎖国政策下の徳川時代、例外として認められていたオランダ人と日本人は「通詞」というオランダ語の通訳をとおして会話した。
その「通詞」のなかの一番上の役人「大通詞」に茂原という人物がいた、と話ははじまる……。

 この茂原は日本の国体を尊び日本のすぐれていることを外国人に知らせようと大そう骨を折っていたえらい人でした。
 この大通詞の友人にフォン・ヒュイスというオランダ人の医者が居りました。この医者は生まれつき大変頑固でへんくつな人で自分はオランダ人だから日本の神仏などをあがめる必要はないといって、どんなお宮やお寺へ行っても一向に頭を下げない、時にはステッキの先で仏像をつついたことさえありました。
 そのことをいつもおもしろくなく思っていた茂原大通詞は折があったらヒュイスの高慢な鼻をくじいてやろうと考えていました。

 ある時ヒュイスが大通詞の家を訪ね用事をすませて帰ろうとした時、大通詞はかなりの道のりですから私の馬をお貸ししましょうといい、ヒュイスは喜んで馬にゆらりとまたがって景色を眺めながらいい心地になって帰途についたのですが==

 どうしたことでしょう。いままで歩いていた馬がピッタリと足を止めて動こうともしなくなりました。どう叱っても、すかしても、木で彫った馬のようにじっと立ったままなのです。
 ふと気がつくと、そこは長崎で有名な崇福寺というお寺の前でした。
困ったヒュイスは馬から下りて動かそうといろいろやってみたが駄目、汗みどろになって帽子をぬぎ頭をたれてハンケチで首のあたりをふきました。
 それから馬に乗ると馬はさっさと歩き出しました。
 しかし、お寺の前にくるとまた止まってしまう。このあたりは寺町でお寺が多い。そこでヒュイスは馬から下り帽子をとって頭を下げる動作をして馬に乗ると、馬は安心したように歩き出す。
 そんなことをくりかえしてやっとヒュイスは出島に帰りました。
 後日、大通詞がヒュイスさんは日本の神仏を信仰されるようになられたそうですね、お寺詣りをしている姿を見た者から聞きましたが、というと……
 いやもうあなたの馬を借りることはこりごりですといって苦笑し、それからは日本の神仏をおろそかにするというようなことはしなくなりました。

 馬は日頃から主人がお宮やお寺の前で礼拝するので、そのことを心得ていて、礼拝がすまないうちは動かないときめこんでいたのです、と話はおわる。

 日本人の神仏信仰は馬にも通じているというわけなのである。

 この話の作者がコスモポリタンの思想家、あるいは徹底した個人主義者である、といわれている詩人であるところが「しんきろう」首相と通底している日本的事態なんだろう。

 金子光晴は同じ『少年倶楽部』の別冊付録本『僕等の愛国宝典』で、日本の少国民たちに「みなさんはナチスのヒットラーユーゲントを見習いなさい」と檄をとばしてもいる。
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