空席通信
2001.10.30 No.98


櫻本富雄自選詩集(1)

 日曜詩人と自称しているが、その割には詩篇を見かけないぞ、などといわれることがある。そのとおりだから別に気にしない。
 この十年ばかりは、評論の本しか書かなかった。
 詩を書かなかったわけではない。
 書いても発表する場がないから目に止まらないだけである。
 詩を介しての友人も何人かいるし、定期的に受贈している詩人たちの同人誌も何冊かあるから、投稿すればそれなりに取り扱ってはくれる。しかし、それは気が重い。
 なぜなら、それらに要する紙頁は、貴重な空間であるからだ。同人費も負担しない者がそのような貴重な紙巾に心やすく侵入出来ますか。出来ませんね。
 日本の文芸商業雑誌は詩を一人前には取り扱わないから、日本には詩作だけで生活している人は何人もいない。まったくいない、といってもいい。
 俳人も歌人も、その間の事情は詩人と変わらないだろう。
 一番最近に上梓した詩集『夜の扉』は1975年5月だから、26年前だし、『回』の最終号が1978年5月だから、同誌に発表した「春の岸」以後、詩は何処にも発表していない。この日曜詩人に休日はないかのようだ。しかも発表の舞台が少数部数しか発行しない同人誌だから「春の岸」も、ほとんどおおかたの人の目にふれなかったことだろう。
 そこで今回の「通信」は、自作詩を紹介しよう。櫻本富雄詩選集である。とりあえずは、旧作の紹介である。

 手元にある一番古い作品は、中学生時代の次のようなものである。


レコード針
  
 なんのためかは問題でなかったのだ。僕たちの前には、ほんのちょっぴりしか開かれていない大きな門が、たちはだかっていたし、まわりには「傾向と対策」という押しあいひしめきあいだけで、タンポポもツクシも、その門のむこう側のことだったのだ。
 とにかく僕たちは、えらばれなければならなかった。

 指さきでこづかれ
 スタートに立ち
 きめられた速さで
 きめられている方角へ
 戻ることも
 それることも許されず
 きめられている掛け声を
 きめられた姿勢で叫び
 石と砂の道を
 のぼり くだりした
 日を重ねるたびに
 自己を売りけずり
 あげくの果て
 音もなく渦巻きの中へ------
 ああ
 青春という音楽の上を
 ひたすら走る
 レコード針の眩暈

『傾向と対策』は旺文社の受験参考書。各科目ごとに『幾何の傾向と対策』というように何冊もあり、それぞれの大学の入試出題傾向とその対策を解説する当時の隠れたベストセラーである。
 この詩、手元にある最古のものと紹介したが、実は正確でない。葛飾図書館長だった友人のAが「これ、おたくのでしょうか」と1940年代に発行されていた投稿雑誌から次のような「心中」をコピーしてくれた。その頃は名前が角張っているので富雄を富夫と表記していたので友人も半信半疑だったが、櫻本が珍しいからわざわざコピーしておいたのだろう。「レコード針」は亡くなった波多野完治が試験文学というジャンルがあるとすれば、間違いなくそこの代表作だろう、と激賞してくれた。


心中

 僕の右手が
 僕の左手を
 しっかりしっかり握って
 仲良く心中しようね

 たった4行のものである。
 『ああ野麦峠』の山本茂実は1940年代に日曜日になると本郷の教会で人生相談会のようなものを開催し、座布団帽子をかぶって人生哲学なるものをしゃべっていた。T大学の教授の自宅を訪ねる兄に同行して、兄の用件が済むのを外で待っていたが、たまたまその近くに件の教会があって、待ちくたびれた私が、そこをのぞいて知ったのである。それからは、その教会がよい時間つぶしの場所になった。別に集会での会話に興味を持ったわけではない。山本は月刊の『葦』を発行していて、それは投稿人生雑誌などといわれていた。後楽園のそばの米やさんの二階に『葦』の事務所があり、そこには無名時代の早乙女勝元が事務を手伝っていて私は何回か会った。私の投稿は全くの野次馬的行為だった。
「心中」はそこに掲載されたもので間違いなく中学2年生の時の私のもの。

 私が注目された最初の作品は1954年10月号の『三田文学』に発表した「雄鶏」だ。当時は山川方夫、田久保英夫、桂芳久などが『三田文学』を編集していた。再見すると「雄鶏」は曾野綾子や田久保英夫の作品とともにでかい顔して誌面を占領している。桂は最近『誄』を上梓して健在だが、山川、田久保の両名は他界してしまっている。曾野綾子はすっかり有名になった。先日、家の近くのスーパーで見かけたが声をかけなかった。私とはいくらも年齢が違わないのに、私をつかまえて「お若いですね」とか言っていたが、もう声をかけても思い出さないだろう。私が野宿生活に近いどん底に落ち込んだ時、はげましの手紙をくれたのが山川だった。それなのに、私は彼のお通夜に出なかった。死は先方からの別れ宣言、と思っているからである。死に顔を見てもつらいだけだ。私は「煙突」を再読して彼の死に耐えた。後年、彼の全集が発行された時はさっそく注文した。収録されている写真・日南海岸でのなつかしい顔にそこで再会した。


雄鶏

 君が散歩すると風景が騒ぎだす
 くちばしで風景をくいちらすからだ
 君は知っている
 風景に愛されていないことを
 だが そのことは君の力でどうすることも出来ない
 いろいろな不安が
 たえず身体のなかに波だっているからだと
 君は たち止まって頭をゆさぶる
 <流れる川のように 地面が動いている
 ぼくの よろめく足つきをみてくれ>

 君は 君の夫人をながめる
 かたい生命を産む彼女は ワイセツな羽根布団のようだ
 君は あわてて眼をそらし 風景の方へ歩きだす
 高いところに ゆらりとしている向日葵
 ダリアは 君に背を向けて咲いている
 <愛されていないことを 知っているのは たまらない
 知っていて どうすることも出来ないのは さらに やりきれない
 水たまりに 鶏冠をうつしてみると 熱のある頭が もえているようだ>

 にわかに 君は
 身うちの波のたかなりが恐ろしくなり
 不思議な啼き声をする


 あの頃の『三田文学』を再見すると、ほかにも何編かの自作詩がある。その中の「絶壁」は、村野四郎、安藤一郎、北園克衛、西脇順三郎の4詩人が発行していた『GALA』に発表したのが初出である。学制改革で中学生が高校生と変名した頃の実らなかった初恋を歌ったもの。当時はそれが人生の革命のように思えたのだ。


絶壁

 名を知らぬ巷を歩いていると
 ひたむきな革命のことが解ってくる
 駅の人混みの中から瞳を輝かせ
 遠い空の虹のよに消えていった
 手のとどかなかった革命のことなどが
 短い月日ののちに
 出棺の時は鳴りわたり
 あの日 煙と共に昇天した革命は
 思いがけなく このような時に
 すれちがう絶壁の
 はるかな頂上に立ち片手を振り
 流星のようにやってきて
 消失にみちた存在をよこたえる
 終電車のような重い時間の上に──

 金井直は私のことを「新即物主義詩人」と指摘した。次の作品は『沈黙の領野』(1973年)に収録したもの。


電車

 おれは この頃 よくわからなくなる
 おれの運んでいるものが 何なのか?
 たしかに おれは電車の運転士
 そして 電車は人間の乗りもの 乗ってくるから
 おれは運転するんだし 駅にもとまるんだ
 しかし 朝な夕な プラットホームで 羽根を毟られる鶏のように
 さかんに剥がされているもの
 ゴミ箱の紙くずのように もうれつに押しこまれているもの
 あれは一体 何なのか?
 ほんとに この頃 何をしているのか おれはよくわからない

 こうして電車は
 今日も駅にとまらないで疾走する
 唖然の姿勢をした駅員の目の前を

『GALA』には「王将」も発表した。


王将

 あらゆる道が閉ざされた
 敗軍の将よ
 今は うしろに
 きりたった断崖があるばかり
 すべては終わった!
 貴下をここまで持ってきた大きな手は
 太陽を握りしめて
 無責任に消え去った
 ここで死を考えれば恐ろしい
 しかし すべてはもう遅すぎる
 敵の手中となった貴下の部下たちが
 逆に貴下を殺しにくる
 この知能の下克上よ
 見なれぬ指がやってきて止めを刺す

 その手は貴下の悲しみを無視して
 それから荒々しく世界を崩してしまった


 現在はほとんどのエレベーターが無人化されているが、デパートなどにはまだ次のような女性がいる。


えれべーたー がーる

 壁の中にぬりこめられ
 鉄の扉で閉ざされて
 あはたは囚人のように立っている
 いろいろなくちすぎのきれはしを
 ひしめきながら売買するかたわらで

 鎧戸が開くと
 花のような人々が咲きこぼれ
 さざめきの中へ消えてゆく
 花を失った枝のような顔が
 再び閉じる鎧戸のかげに──

 三階でございます
 七階でございます
 ひきつる叫びが空しく消え
 あなたの牢獄は
 急速に落下する


ローソク

 宇宙の暗黒の中へ
 音もなく傾斜してゆく夜
 私は考える
 生きようとすることは
 それを確認してゆくひととき ひとときが 
 死にますます近づいてゆくこと
 私は暗闇の宇宙で
 たろたろ とろけてゆく燃焼

 激しく樹木を揺さぶる風に
 耐えられず消えていった人たちを
 身近に感じる暗黒の中で
 燃えつきる瞬間のために
 不安の形に揺れる明るさ




 ふりかえってはいけない時にふりかえって
 この眼は大変なものを見てしまったかのように開いている

 それ以来──
 この眼には形象が実物より大きく見えるらしい

 今日も小さな騎手に糸のような鞭で打たれ
 鼻穴から白い恐怖をはきながら
 風景の外へすっ飛んでいく


キリン

 あの首をみていると
 考えないではいられない
 たとえば ノドに棘がひっかかった時のことなどを

 絶望を知らない太古のキリンは幸福であったろう
 ところが ある進化で知ったのだ
 ああ ノドから手を出すなんて途方もないことだと
 知ったところで 知らなかったことと
 同じことだったと

 果てしない悩みのために
 あのように首が長くなったのだ
 あの首は 絶望の歴史
 しかし 堕落しないで どうにかバランスを保持している
 知っているのだ 落ちぶれたら蛇になることを


 以上の作品は『沈黙の領野』(1973年)に収録してある。刊行当時、村野四郎は「沈黙から生まれた集成」と題して、新聞紙面に次のような文を発表した。
 「詩は経験である」とリルケは言ったが、この経験の意味あいがクセモノである。それは、のんべんだらりとした人生経験ではなくて、詩的体験を意味するものと解すべきだろう。つまり詩人としてのキャリアの長さだ。そして、この詩的体験は毎日詩を作るということよりも、絶えず詩的なものを身辺において、詩との密接な関係を断たない執念の長さを意味するものと解すべきか。最近刊行された櫻本富雄詩集「沈黙の領野」が、それを実証している。著者は金井直、山本太郎らと時代を共にする新鋭だったが、住居の焼失と幼稚園経営のために、長いこと詩作を断っていた。しかし、おそらく彼の部屋は詩書で埋まっていたのではないか。中略 この詩集は、いたるところすさまじい人生的悲運の諷喩で渦まいている。そして、これこそ詩を手放さないものの勝利を物語るものである。
 詩の紹介はかなりのスペースを必要とする。もう予定頁数になった。まだまだ作品はいっぱいあるが、それはまたの機会にしよう。最後に紹介するのは1976年の秋季号『回』6号に発表したもの。


白鳥

 無関心や忘却が
 わたしを とりかこんでいる
 もう 歌うのはやめよう

 それでも言葉は
 白鳥のように翅をひろげ
 ゆっくり降下してくる
 そして ひっそりと泳ぐのだ

 冬へ傾く
 わたしの脳髄の湖面を
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