空席通信
2001.12.31 No.100

写真表紙

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 1923年に朝日新聞社が創刊した『アサヒグラフ』の1945年版について、8月5、15,25日,および9月5日の4冊については、未確認であるとのべた(『戦争とマンガ』166ページ)。
 これを見た友人が、所持している8月25日号を貸してくれた。で、今回は、その8月25日号についてのべようと思う。
 わたしが未確認の号数は、細かく記すと第44巻第26号、27号、28号、29号で、通巻では1124号から1127号になる。今回確認出来たのは、その1126号だ。15ページの薄い冊子で定価は60銭である。毎月、5,15,25日に発行されるが、1126号のどこにも休刊、合併号発行、といった記述がないから、残りの未確認の3冊も発行されたのだろう。朝日新聞社の資力というか体力というか、とにかくたいしたものである。こんな事をいっても、若い人たちには理解されないだろうが、世間から文字通り、あらゆるものが消えてしまった時代の話であるから、すごいのである。ただ「すごい」だけなのは、朝日新聞社にも、戦時下の『アサヒグラフ』は完全にそろっていないからだ。自社の出版物に責任を持てないようでは(所蔵していない)体質を問われよう。そういえば、朝日新聞社には『週刊少國民』も所蔵されていない。もっとも、このことはわたしが調査した20年ほど前の話で、現在ではそろっているのだろうか。
 8月25日号の表紙の写真は、ごらんのように、左下が欠損しているが、農耕している5人の人物が見える。手前の二人は明らかに農夫と農婦だが、右端の男性は勤労奉仕のにわか農夫だろうか。あるいは戦線から生き延びて戻った息子だろうか。帽子をかぶっているが、これが戦闘帽とよばれた戦時下の定番の帽子で、色は一律にカーキ色だった。帝国陸軍の軍服色といってもいいし、国防色ともいわれた。
 右端の農婦は、素足で、はいているのは「もんぺ」という。これも戦時下の女性の定番の服装である。もんぺの農婦、まだ年齢が若そうに見えるから農家の嫁か、娘か。一番奥の女性は女学生のようにも見える。女学生だとすると、これも勤労奉仕で動員されたのかもしれない。後ろの真ん中の女性は、よく見えないが農婦だろう。5人が耕しているのは畝の間隔から想像して芋畑のようだ。枯れて立ちつくしているのはトウモロコシだろう。およそグラフ雑誌の表紙には適さない図柄である。然し、当時は食べるものが絶対的に不足していて食糧増産は何よりの急務だったから表紙になったのだろう。
 表紙の左下端は千切れてしまっているが、戦争終結の大詔渙発、原子爆弾とは、東久邇宮内閣成立、琵琶湖の干拓作業、秋播き蔬菜の作り方、といった文字が見える。この号に収録されている主要記事の目次のようなものだ。
 裏表紙には、例によって広告がある。三和銀行と大阪薬品株式会社のものだ。この2社は、現在も、しぶとく生き残っているから興味があったら、調べて見るといい。日本の企業の相変わらずの体質やいろいろな問題がわかってくるだろう。三和銀行の広告は「皇国再起 一切の無駄を廃し一路貯蓄へ!!」と預金を勧誘している。この時点ではまだ「皇国」であるところがおかしい。
 2,3ページは敗戦の詔書と「大詔渙発」までの天皇陛下の苦衷、ポッタム宣言の内容解説といった記事が戦中の定番「二重橋」の写真と共に掲載されている。この記事の結び部分を引用しておこう。

 皇国の嚮うべき大本を御躬ら昭示し給うた詔書の御放送を予め承知した蒼生一億は、定刻となるやそれ
 ぞれの位置で受信器の前に粛然と襟を正し、録音によって放送された玉音に耳を傾け奉り、唇をかみしめ
 拳を固めて熱涙にむせぶ。その感懐は如何なる文字をもってするも、言葉をもってするも克く尽くし難い
 ものがあり、あるはただ自省自責、自粛自戒、聖慮のまにまに粉骨砕身持って宸襟を安んじ奉らん誓いを
 固くするばかりである。

写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
 写真1、2は長崎市と広島市の原爆被害の写真。当時の報道写真はまだ占領軍の検閲下にあったから、この程度のものしか掲載できなかったが、実際には、もっと悲惨なものがたくさんあったことは、もう周知のこと。文字が不鮮明だからざっと解説すると、おんぶしている写真は長崎市のもの、一面の焼け野原は広島市。貨車がひっくり返っているのは場所が不明。焼け残った樹木の写真は長崎市のもの。「原子爆弾とは」の下にあるのは、上が落下傘つきの無線機で、これで原爆の被害状況を探知した、といわれている。下の数字写真は駅の時間表で黒数字の所だけが焼け抜けている。どこの駅かは不明。
 写真3は、目黒区に住んでいて空襲で焼け出された50戸256名の罹災者達が北海道十勝の新天地に旅立ち(都落ち)する記事。隊長は藤井嘉一とある。これらの人達の戦後に関心があったら追跡してみるといい。「都会の生活に馴れ、土に親しむ事をいとい、土のありがたさを忘れていた人たちも、非常の時に逢うと大和民族本来の姿を見いだす。瑞穂の国に生を受けたありがたさである。」という記事。ものはいいよう、とはこういうことである。
 
 他にも紹介したい記事があるが、グラフ誌の記事引用など考えれば馬鹿な話に近いから以下にはスキャナー画像を掲載して100号記念とする。未確認の三冊にもいずれお目にかかるだろう事を期待してこれからも遍歴する。写真4〜6

 風邪ぎみで、すこぶる気力があがらない。今年はこれでおしまい。よい(あまり期待出来ないが)お正月をお迎えください。学生諸君へのメッセージは冬休み。
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