空席通信
2002.4.30 No.104

歌と戦争 3



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 アンチ巨人軍の私だから(プロ野球セリーグの話)、読売新聞(囲碁のタイトル戦が掲載される時は別である)以外は、サンケイでも赤旗でも、勧誘されれば敬意を表して一ヶ月くらいは、なるべく定期購読することにしている。いわゆる新聞は、どれも心底から信用していないからである。私自身が記事のネタにされた経験が何回もあって、いいかげんな報道姿勢にうんざりしているからでもある。ところで、たまたま読んでいたある新聞コラムにシンガーソングライターと肩書のある人の文があった。長いカタカナの肩書だが、作詞作曲をし、自身で歌う人のことらしい。つまりは今様のマルチタレントなんだろう。
 その文の題名は「どこかで春が」である。児童詩の普及に関与した、とされている詩人百田宗治(民衆派詩人として世に出た)が作詞した童謡「どこかで春が」は、シベリア出兵、朝鮮侵略など、軍国主義が狂暴に吹き荒れた冬の時代・1923年に「侵略戦争に反対し、国民主権、女性参政権を求める叫びが地の底から湧きあがった。その声を百田宗治は『春を告げる声』と聴き、この詩を書いたという」と、このシンガーソングライターは持ち上げている。そして「優れた芸術家は『地底のカナリア』のように時代を敏感に感じ、警鐘し、また、『どこかで春が』と人々に生きる希望を伝えることができる。私も音楽家として少しでもそういう仕事がしたい」とのべて、このシンガーソングライターは百田が初心を捨てて戦時期には侵略戦争推進に翼賛したことを不問にしている。
 百田宗治は「優れた芸術家」でないと私は思っているが、その検証はあちこちでやったから、ここでは繰り返さない。世の中にはいろいろな意見があるものだ、と今更ながら感心するだけである。
 同じ新聞にCD5枚組の「あゝ日本の軍歌」が日本コロムビアから発売されている広告が掲載されていた。


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 ごらんのように「祖国の明日を夢見て、征く者、散る者、守る者……その魂、今も胸に甦る軍歌50曲。錚々たる顔ぶれ、そして当時のままの音源で編集した軍歌史に残る価値あるCD集」といったキャプションだ。
 これら50曲の中で私が全く思い出せないのは、こまどり姉妹が歌っている「愛馬花嫁」(陸軍省選定・万城目正)、霧島昇の歌う「艦船勤務」(大和田建樹・瀬戸口藤吉)の二曲だけ。どちらも聴けば思い出すだろうか? 特に前者は松竹映画の「暁に祈る」(1940年)の副主題歌だそうだから、きっと思い出すだろう。その映画は見ている。軍歌の中の傑作といわれている「暁に祈る」は野村俊夫が作詞した「ああ あの顔で あの声で……」を古関裕而が作曲したもの。三鷹淳が歌う「進軍」は同じような題名の歌がいくつもあって、聴いてみないと私が知っているものとの差異は不明である。ともあれ、このような戦争翼賛の歌が商品として企画され発売されることは、それなりに商売になるからだろう。右翼の街宣車が使用するだけではないようだ。あの忌まわしい戦争を忘れないために、そして二度と戦争をしないために、これらの軍歌を心に刻んで誓うのであれば結構な話だが……。
 この50曲、後でふれるものは除いて、一応、瞥見しておこう。広告の順番にしたがって、一枚目からはじめる。
 
「軍艦行進曲」は東京音楽学校(現在の芸大)の教授・鳥居啓の作詞に、同じ学校の助教授・山田源一郎が作曲した「此城」が、原書という言葉にちなんでいうと、原歌というか最初の歌だった。これは、未確認だが『小学唱歌巻六』に収録されているそうだ。この「此城」を1897年ころ海軍軍楽士・准士官・瀬戸口藤吉が「軍艦」と題して新たに作曲、さらに1900年ころ「軍艦行進曲」に改作、それが現在歌われているものである。「ころ」とはっきりしないところが日本軍隊で発生した歌であることを如実に語っている。
「軍艦行進曲」はパチンコ屋が店内放送に利用して敗戦後に復活したが、一時は「君が代」とともに戦争を象徴する最も忌まわしい歌として唾棄された。ラジオで大本営が発表する勝利の戦果ニュース(戦争末期になるとデマの戦果を得意げに流して国民をだましたニュース)の頭に、この曲が流されたのが原因である。「守るも攻むるも黒鉄の浮かべる城ぞ頼みなる……」といった歌詞を若い人たちは知らないだろうが、メロディーは現代の若者でも知っているだろう。「黒鉄」は「くろがね」と読む。軍艦のことだ。
「抜刀隊」(「抜刀隊の歌」という題名になっている資料もある)は、新体詩の詩人・外山正一の詩を陸軍軍楽隊の傭人ルルーが作曲したもの。「吾は官軍我が敵は天地容れざる朝敵ぞ敵の大将たる者は古今無双の英雄でこれに従うつわものは共に慓悍決死の士……」と西南戦争での警視庁巡査抜刀隊の活躍を歌った詩に外人が(彼についてはほとんど知らない)作曲しているところが面白いといえるだろう。兵士を鼓舞する軍歌の嚆矢といわれている。長い歌詞で6番まであるが、このCDは六番まででなく一部だろう。
「道は六百八十里」(石黒行平・永井建子)、「敵は幾万」(山田美妙・小山作之助)の二曲も軍隊内で歌われていたものが一般に普及したもの。「敵は幾万」は私が小学校で六年間受けた信濃教育会の定番歌で、運動会の騎馬戦にはかならず登場した。だから音楽の時間ではなく運動会で覚えた歌だった。「日本陸軍」(大和田建樹・深沢登代吉)も運動会の定番曲で、これは上級生の棒倒しの入場曲だった。「日本海軍」(大和田建樹・小山作之助)は父が口癖のように歌っていて覚えたが、後年になって調べて驚いた。歌詞は20番まであって、1904年の帝国海軍の軍艦名が総登場する。
 森繁の歌う「戦友」(真下飛泉・三善和気)は厭戦的な歌であると軍からは嫌われたが、一般にはうけた。歌詞は14番まであるが全部歌われることはない。「ここは御国を何百里 はなれて遠き満州の……」の一番から「軍律きびしい中なれど……」の四番くらいまでだ。森繁の18番のように思われているが、戦後のリバイバル(1960年代)のきっかけは、日本人として初めてアメリカのカーネギーホールで公演したアイ・ジョージ(石松譲二)が反戦歌として絶唱してからである。野口雨情会の理事長だった横沢千秋は「この『戦友』の歌は日露戦争の直後に出されたもので、詩句も曲も悲しみを湛えた歌である。昭和に入ってからも歌われたものだが、兵士の志気を消沈させるおそれがあるということと、軍紀違反をのべた文句があるので歌うことを禁止された。けれど、その命令に従ったのは軍隊の中だけで国民の誰もが実によく歌った歌である」(『日本流行歌史』1970年)とのべている。
「婦人従軍歌」(加藤義清・奥好義)「勇敢なる水兵」(佐々木信綱・奥好義)「広瀬中佐」(文部省唱歌)もよく歌われた。一枚目のCD に収録されているものは、いずれも背後に日露・日清戦争がある。

 二枚目のCDにも「水師営の会見」(佐々木信綱・文部省唱歌)「橘中佐」(同名の歌が三つあるが、これは文部省唱歌のものだろう。あるいは『遼陽城頭夜はたけて有明月の影うすく……』のほうだろうか。後者は鍵谷徳三郎・安田俊高のコンビである)、「歩兵の本領」(加藤明勝・永井建子)「艦船勤務」(大和田建樹・瀬戸口藤吉)などの同時代のものがあるが、支那事変時代のものもある。「泪羅の渕に波騒ぎ普山の雲は乱れ飛ぶ……」の「昭和維新の歌」は「青年日本の歌」(三上卓作詞作曲)のこと。歌詞の中に「昭和維新の春の空……」といった部分があるから「昭和維新の歌」というのかどうか知らないが、何故こんな歌が選ばれたのか判らない。
「護れ大空」(町田敬三・江口夜詩)は陸軍戸山学校軍楽隊の隊歌で調子のいいメロディーである。これも不思議な選曲だ。もともとコロムビアが発売したレコード曲だからだろう。
「露営の歌」(藪内喜一郎・古関裕而)が毎日新聞社の公募歌であることは既述した。発表当時(1937年)は、中野忠晴、松平晃、伊藤久男、霧島昇、佐々木章等が歌ったが、このCDでは霧島が三鷹淳と歌っている。「勝ってくるぞと勇ましく誓って故郷を出たからは手柄立てずに死なりょうか進軍ラッパ聴くたびに瞼に浮かぶ旗の波」といった歌詞で、「故郷」は「くに」と歌う。
「江田島健児の歌」(神代猛男・佐藤清吉)は海軍兵学校の歌。歌詞の中に「常磐の松の緑濃き……」といった部分があり、私はこの部分からメロディーを甦らせる。不思議な歌だ。
「廟行鎮の敵の陣われの友隊すでに攻む……」の「爆弾三勇士」も毎日新聞社の公募歌。与謝野鉄幹が応募し当選したことが話題になった。私は小学校入学前に見物した運動会で青年学校の生徒たちが、この歌で入場し、爆弾筒に見立てた奇妙な筒をバトンにしてリレー競争したのを覚えている。ゴールはもちろん鉄条網の爆発である。

 三枚目のCDからは、リアルタイムで歌ったものばかりである。
 森繁の歌う「海ゆかば」は、おそらく厭戦的に歌われているのだろうが、戦勝国的な物差しでいえばA級戦犯ものの悲壮な戦意昂揚歌。
「進軍の歌」は同名のものが二つあり、どちらもコロムビアがレコードを発売している。一つは松竹映画「進軍」(児玉花外・陸軍戸山学校軍楽隊)の主題歌、もう一つは、同じ軍楽隊作曲の毎日新聞社の公募歌(本多信寿作詞)。三鷹が歌っているのは後者だろう。
 島倉千代子の歌う「軍国子守唄」(山口義孝・佐和輝禧)は戦後では楠トシエが本家。もともとは「母子船頭唄」の塩まさるが歌った。彼の絶唱は「上野駅から九段まで……」の「九段の母」(石松秋二・能代八郎)だろう。
「皇国の母」(深草三郎・明本京静)。これも島倉千代子が歌っている。もともとは「歓呼の声や旗の波後は頼むのあの声よ……」と市丸が歌った。
「父よあなたは強かった」(福田節・明本京静)は朝日新聞社の公募歌「皇軍将士に感謝の歌」が原題。伊藤久男、二葉あき子、霧島昇、松原操らが歌ったヒット曲。作詞者は女性で、作曲はコロムビア社が山田耕筰、服部良一、古関裕而ら自社専属の作曲家12人に依頼し、それら12曲を公開試聴して人気投票で明本のものに決定された。残りの11曲の「その後」は知らない。試聴盤が作成されているから残っている可能性はある。しかし、くさいものには蓋の文化国だから出てこないだろう。この歌の下敷きは支那事変である。山田耕筰や服部良一がどのように作曲したか興味がわくので、5番まである一番の歌詞を引用しよう。

 

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 父よあなたは強かった
 父よあなたは強かった
 兜も焦がす炎熱を
 敵の屍とともに寝て
 泥水すすり草を噛み
 荒れた山河を幾千里
 よくこそ撃って下さった

「兵隊さんよありがとう」(橋本善三郎・佐々木すぐる)は「皇軍将士に感謝の歌」の子ども版として同じ時に朝日新聞社が選定したもの。「肩をならべて兄さんと今日も学校へ行けるのは兵隊さんのおかげですお国のためにお国のために戦った兵隊さんのおかげです」と四番まである歌詞を何も見ないで書けるのはこのほかでは50曲中二曲くらいだ。
 四枚目からは1940年代のものが中心になるから、このあたりで本論にもどろうと思うが、その前に1939年に実施された「日本国民歌運動」についてのべる。
 
 日本放送協会が堕落・退廃的な歌謡曲を浄化しようと「国民歌謡」番組の放送を開始し、それが戦意昂揚の戦時歌謡や「国民合唱」へと変貌していったことについての考察は拙著『少国民は忘れない』(1982年)でのべたのでここではふれない。
 これと同じような趣旨で文部省(現在の文部科学省)が始めたものらしいのが、これからのべる「日本国民歌運動」である。「らしい」と記述したのは、手元にある資料だけでは全貌がつかめず、多分に推理がまじるからである。
『昭和二万日の全記録・5』(1989年)のトピックス欄に、次のような記事がある(147ページ)。

 山田耕筰の国民歌指導 【文部省選定国民歌第一回発表演奏会を前に】三   
 月七日、大阪市教育部では市内の集英小学校に、市の小中学校音楽担当
 教師三百余人を集め、山田耕筰の指導で国民歌指導講習会を開いた。曲
 目は北原白秋作詞・山田耕筰作曲『大陸日本の歌』など六曲。

 そして私の手元に「東京府東京八王子第四尋常小学校」の蔵書印が読める『日本国民歌第一輯』のご覧のような楽譜がある。

 文部省が発行した楽譜であることは写真から判定できるが、奥付がない。14ページまで楽譜で15〜17ページが歌詞のページになっている。ありふれた楽譜の体裁だ。B 列五番の日本標準規格、つまり四六倍判である。収録されているのは「大陸日本の歌」(北原白秋・山田耕筰)、「農民の歌」(佐藤春夫・池内友次郎)、「男海ゆく」(土岐善麿・堀内敬三)、「われらをみなは」(茅野雅子・信時潔)、「国土」(齊藤茂吉・大木正夫)、「こどもの報告」(高村光太郎・箕作秋吉)の六曲。「あゝ日本の軍歌」じゃないが、まさに錚々たるメンバーである。
 判明していることはそれだけ。
 流行歌史や歌謡史を調べても、全く判らない。わずかに1939年4月にビクターから「男海ゆく」のレコードが発売されている記録があるだけである(『軍歌と戦時歌謡大全集』1972年・427ページ)。それによると歌手は徳山連と波岡惣一郎だ。両名ともビクター専属歌手で、徳山は岡本一平が作詞、飯田信夫が作曲した「とんとんとんからりと隣組……」の歌手で「歩くうた」(高村光太郎・飯田信夫)もそうだ。波岡惣一郎には日本放送協会選定の放送軍歌「天津の神兵」(児玉花外・辻順治)の絶唱がある。既述した朝日新聞社の公募歌「皇軍大捷の歌」(前掲)は徳山、波岡と灰田勝彦の三人が歌っている。
 トピックス欄の記事「『大陸日本の歌』など六曲」と私の資料とが一致する。それで、この頃、学校で歌われたものと推定するわけである。文部省の省史などを調べると判明するかもしれない。六曲の一番の歌詞を列記しておこう。作詞・作曲家の名前は繰り返さない。

大陸日本の歌
 天は騰りて極みなく地は鎮まりて涯もなし。見よ、蕩々と豊かなる皇謨の栄まのあたり。大和の光ここにして今こそ被へ神ながら。

農民の歌
 わがよき土は豊葦原瑞穂の国とたたへられ、みのりゆたかに代々を経ぬ。栄ゆく国のたからもの。

男海ゆく
 男海ゆく、荒海を、よせて砕けて散る浪に、時代の渦を乗り越えて向けろへさきを、南へ北へ、そろう舟歌逆しぶき。

われらをみなは
 われ等をみなは国民の花なり。木々も、木の花の咲きて、はじめてかおるごと、をみなのきよき真ごころのにおい明るく輝きて、げに日本は光あり。

国土
 あおぐもとおく、よりあいて、うつくしきかな、やまかわは。神の生ませる、大やしま。常若にして、ゆたかなる、われらが生の、みなもとを、いま新しく、感激す。

こどもの報告
 めがさめる、とびおきる。晴れても降っても一二三。朝の冷たい水のきよさよ。心もからだも、はつらつ。お父さまお早うございます。お早うございます。みんなもお早う。かしこきあたりを直立遙拝。それからご飯だ、ああうれし。こうしてぼくらのその日がはじまる。その日がはじまる。



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1940年以後の公募歌
紀元二千六百年 奉祝会・日本放送協会 増田好生 森義八郎。
心のふるさと 東京中央放送局 大木惇夫 江口夜詩。
愛馬花嫁 陸軍省 万城目正。
防空の歌 朝日 大日本防空協会 伊藤宏 佐々木俊一。
燃ゆる大空 陸軍省 佐藤惣之助 山田耕筰。
奥の細道 大阪中央放送局 齊藤四郎 内田元。
国民進軍歌 毎日 下泰 佐々木すぐる。
みんな兵士だ弾丸だ 毎日 ?
興亜行進曲 朝日 今沢ふき子 福井文彦。
日本勤労の歌 勤労者教育中央会 安藤外之 河村光陽。
月月火水木金金 海軍省軍事普及部推薦 高橋俊策 江口夜詩。
航空日本の歌 朝日 舟木準 佐々木すぐる。
起てよ一億 海軍省軍事普及部推薦 高橋俊策 江口夜詩。
たのしい満州 満州新聞社 ? 古賀政男。
靖国神社の歌 主婦之友社 ? 帝国軍楽隊。
開墾花嫁の歌 満州移住協会 佐藤惣之助 島田逸平。
三国旗かざして 陸軍省 大木惇夫 山田耕筰。
馬 陸軍省 佐藤惣之助 古賀政男。
めんこい仔馬 陸軍省 サトウ・ハチロー 仁木他喜雄。
国民協和の歌 大政翼賛会 大政翼賛会 橋本国彦。
日本婦人の歌 大阪中央放送局 相馬御風 深海善次。
産業戦士の歌 大日本産業報国会 ? 林伊佐緒。
火の用心 大日本警防協会 相馬御風 中山晋平。
出せ一億の底力 毎日 堀内敬三 同。
大和一家数え唄 大政翼賛会 新日本漫画家協会会員 古賀政男。
大政翼賛の歌 大政翼賛会 山岡勝人 鷹司平通。
大空に起つ 大日本飛行協会 大木惇夫 古賀政男。
戦陣訓の歌 陸軍省 佐藤惣之助 古関裕而。
戦陣訓の歌 陸軍省 藤田まこと 江口夜詩。
黒き宝 企画院商工省厚生省 西条八十 古賀政男。
歩くうた 東京中央放送局 高村光太郎 飯田信夫。
島の船出 台湾放送協会 久保田与市 上原げんと。
護れ太平洋 毎日 武富邦茂 瀬戸口藤吉。
日本子守唄 毎日 安孫子省三 古関裕而。
国の幸 毎日 西川好次郎 村井恒雄。
海の進軍 読売・海軍省 海老名正男 古関裕而。 そうだその意気 読売 西条八十 古賀政男。
瑞穂踊り 農林省 岡崎淑郎 中山晋平。
怒濤万里 日本放送協会 ? 古関裕而。
陸上日本の歌 日本陸上連盟 清水みのる 飯田景応。
健歩の歌 東京市 脇太一 江口夜詩。
世紀の若人 読売 ? 林伊佐緒。
楽しい我が家 毎日 ? 長谷川堅二。

 1940年2月11日は神武天皇が即位した時から丁度2600年に当たるとされ、紀元2600年の奉祝行事が国をあげて実施された。「紀元二千六百年」のレコードはコロムビア、キング、ビクター、テイチク、ポリドールの五社から発売された。動員された各社の歌手は松平晃、徳山連、波岡惣一郎、四家文子、中村淑子、伊藤久男、藤山一郎、霧島昇、松原操、二葉あき子、渡辺はま子、香取みほ子、永田絃次郎、長門美保、奥田良三、関種子、上原敏、小林千代子、東海林太郎、桜井健二、鬼俊英、中村柾子、服部富子等23名であった。神武天皇を祀っているといわれている橿原神宮(奈良県橿原市)には正月の三日間で125万人の参詣者があった。「金鵄輝く日本の栄えある光身にうけていまこそ祝えこの朝……」は少国民世代なら誰も覚えているだろう。

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 霧島昇が歌う「花摘む野辺に日は落ちて……」の「誰か故郷を想わざる」(西条八十・古賀政男)もこの年のヒット曲。四月からの映画法実施にともなって歌手や俳優の改名が命令されたり、カタカナ語の追放、七・七禁止令(奢侈品等製造販売制限規則)などをうけて「贅沢は敵だ」といった狂気の時代がはじまるのだが、「誰か故郷を想わざる」や灰田勝彦の「燦めく星座」(佐伯孝夫・佐々木俊一)、高峰三枝子の「湖畔の宿」(佐藤惣之助・服部良一)、霧島昇・松原操のコンビが歌う「目ン無い千鳥」(サトウハチロー・古賀政男)、渡辺はま子の「蘇州夜曲」(西条八十・服部良一)、霧島昇・二葉あき子の「新妻鏡」(佐藤惣之助・古賀政男)なども当時の民衆には支持された。ジョン・ウエインの「駅馬車」が上映されたのは六月だった。ベルリンオリンピックの記録映画「民族の祭典」が話題になったのは八月のことで、翌月には日独伊三国同盟がベルリンで調印される。そしてアジア・太平洋戦争が始まるのである。

(以下次号)
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