空席通信
2002.6.30 No.106

歌と戦争 5



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 『放送軍歌』についての問い合わせが多いので、ここで整理しておこう。
これは題名どおり、日本放送協会がラジオ放送した軍歌を、楽譜集として出版したもの。全部で何冊あるのか不明だが、私が蒐集したのは第一輯から三輯までの三冊である。第一輯は1937年9月5日、第二輯が同年10月1日に発行され、先に触れた第三輯は翌年の2月5日に発行されている。曲目を列記しよう。(1)(2)(3)で何輯かをしめす。

(1) 北支の空     土岐善麿・江口夜詩。
  爆発点・蘆溝橋  大木惇夫・飯田信夫。
  暁の郎坊     白鳥省吾・池内友次郎。
  平入城      福士幸次郎・伊藤昇。
  天津の神兵    児玉花外・辻順治。
  通州       堀内敬三・同。
  爆弾二将校    佐伯孝夫・杉山長谷雄。
  空爆の歌     勝承夫・服部良一。
  千人針      サトウハチロー・乗松昭博。
  行けよ・つわもの 作間喬宣・AK文芸部。
(2) 天兵の威烈    児玉花外・菅原明朗。
  特別陸戦隊頌歌  城左門・深井史郎。
  友を送る     相馬御風・大中寅二。
  上海特別陸戦隊  福士幸次郎・古関裕而。
  南京空爆     川路柳虹・弘田龍太郎。
  空軍の花     相馬御風・高木東六。
  江上警備     佐藤惣之助・渋谷修。
  敵前上陸     百田宗治・佐々木すぐる。
  無敵立体戦    西条八十・飯田信夫。
  正義の軍     佐々木信綱・田村虎藏。
(3) 済南爆撃     高橋掬太郎・大村能章。
  提灯行列     森田たま・山田榮一。
  白茆口敵前上陸  福士幸次郎・細田義勝。
  慰問袋      圓地文子・竹岡信幸。
  太原の陥落    児玉花外・原田潤。
  閘北攻撃     藤田まさと・久保田公平。
  上海凱歌     土岐善麿・AK文芸部。
  勝って兜の    土岐善麿・乗松昭博。
  南京陥落     川路柳虹・池譲。
  鬼部隊長と伝令兵 菊田一夫・小田進吾。

 これらの曲名から想像できるように、いずれも支那事変と呼称した中国との戦争をテーマにしたものばかりだ。したがって、1937年7月から1938年頃に放送されたものだろう。曲名だけでは面白くないから、歌詞や楽譜を紹介してもよいが、いずれもメロディーに記憶がない。これは、本信の読者諸氏とて同じ思いだろう。で、誰が歌ったものか、調べられたものだけ紹介しよう。なお、「AK文芸部」は若い読者には判らないかもしれないが、JOAKのこと。東京第一放送局である。

 天津の神兵 波岡惣一郎(1908〜1951)。
 彼は軍歌歌手として活躍したが、東洋音楽学校の出身で新聞社の音楽コンクールで入賞して歌手デビューした。彼の歌った軍歌はいっぱいあるが、中山晋平とよくコンビを組んだ作詞家・若杉雄三郎の「南方航路」 (島口駒夫作曲)の替え歌「さらば ラバウルよ また来る迄は……」の「ラバウル小唄」が有名だろう。
 千人針 関種子(1907〜?)。
 東京音楽学校では四家文子の一年後輩で、本来はクラシック歌手だが、「およばぬことと諦めました……」の「雨に咲く花」(高橋掬太郎・池田不二男)の歌手である。この「雨に咲く花」には戦争時代でなければ考えられないような数奇な事情があった。もともとは逓信省の宣伝映画「突破無電」(1935.10 新興キネマ)の主題歌であるが、「ひとり泣くのよ むせぶのよ……」なんてとんでもない時代錯誤だと、レコードが発売禁止になってしまったのだ。慌てたレコード会社コロムビアは歌詞を「小雨に濡れた日暮れの窓で一人眺める……」と替えて淡谷のり子に歌わせたが、ヒットしなかった。この歌が知られるようになるのは、戦後のことで、山路えり子や井上ひろしが歌った。確認していないが、この本歌はロシヤ民謡だそうである。

 面白くないから、と思って調べたが、放送軍歌で判明したのはこの二曲だけ。この頃、放送局が力を入れていたのは「国民歌謡」と称した番組であった。これは1936年大阪中央放送局が歌謡曲を浄化しようとして始めたものである。
 「歌謡曲を浄化」などと威張っている。歌、唄と二文字あるように、日本は大衆的な文化とインテリー向きの文化とを比較して後者の方が優れて芸術的などと考えている向きがある。歌の世界もそうだ。わたしが八代亜紀の歌や都はるみの歌のファンであると名乗ると笑う人がある。まあ人様が笑うのは自由だからかまわないが、大衆的な文化が芸術的でないなどという思考はとんでもない思い上がりである。美空ひばり(彼女もインテリ層からは余り支持されなかった)が歌舞伎座で興業した時「梨園の殿堂を歌手風情の土足で汚されちゃかなわん」等といわれたものだ。「殿堂」だって!! 空いた口がふさがらないとはこういう時に使用するのだろう。閑話休題。
 手元にラジオテキストとして日本放送協会が発行した「国民歌謡」の楽譜が第一輯「心のふるさと・祖国の柱」(1936年11月16日発行)から第七六輯「国民協和の歌・歩くうた」(1940年12月15日発行)まで76冊ある。この楽譜総ページ数は七ページで二曲づつ収録されているが、20,37、41、55、57、62、67、74輯は一曲、30輯には三曲収録されている。この他に四家文子の蔵書印があるもので『国民歌謡選集』が八冊ある。楽譜出版社の白眉社が発行したもので、書名どおり「国民歌謡」の中からよく歌われたもの、歌ってほしいもの107曲だけを選んだもの。白眉社は戦災で古い資料を焼失、戦後は幼稚園関係の楽譜出版をしている。問い合わせたが『国民歌謡選集』が何集まで出版されたのかは判らなかった。


 
 
 「国民歌謡」の中には島崎藤村が作詞した「椰子の実」(大中寅二作曲)のように戦争の影がない歌もある。翼賛ものかどうかの判断は読者にまかせるとして以下に手元にある「国民歌謡」の全曲名をべた書きしよう。*印のあるものは、『国民歌謡選集』にもあるもの。 「。」で1輯。

 国民歌謡
* 心のふるさと(大木惇夫・江口夜詩)、*祖国の柱(大木惇夫・服部良一)。*嫁ぐ日近く(喜志邦三・宮原康郎)、*防人のうた(富田砕花・弘田龍太郎)。*朝(島崎藤村・小田進吾)、*椰子の実(略)。*夜明けの唄(大木惇夫・内田元)、*朝露夜露(相馬御風・藤井清水)。*落葉松(北原白秋・長村金二)、*我が家の唄(西條八十・山田耕筰)。*日本よい国(今中楓渓・服部良一)、*乙女の唄(同・水谷ひろし)。願い(山沢睦子・大和田愛羅)、*野行き山行き(九条武子・瀬戸口藤吉)。*日の出島(佐藤惣之助・内田元)、*希望の乙女(大木惇夫・須藤五郎)。*スキーの唄(白鳥省吾・大村能章)、*早春の物語(深尾須磨子・宮原禎次)。*日本よい国(中央教化団体連合会作詞作曲・小田進吾編曲)、*白すみれ(薄田泣菫・小田進吾)。*ふるさとの(三木露風・齊藤佳三)、*希望の船(佐藤惣之助・服部良一)。*むかしの仲間(木下杢太郎・山田耕筰)、*国旗掲揚の歌(乗杉嘉寿)。牡蠣の殻(蒲原有明・大中寅二)、*春の唄(喜志邦三・内田元)。*心の子守唄(稲野静哉・宮原誠次)*野薔薇の歌(佐藤惣之助・弘田龍太郎)。*新鉄道唱歌(土岐善麿・堀内敬三)、同(西條八十・堀内敬三)。*奥の細道(齊藤四郎・内田元)、*村の少女(喜志邦三・富永三郎)。*筏流し(門叶三千男・宮原康郎)、母恋し(西條八十・中山晋平)。*Aの字の歌(与謝野晶子・飯田信夫)。*母の歌(板谷節子・橋本国彦)、*乙女の春(今中楓渓・森正雄)。*新鉄道唱歌(佐々木信綱・堀内敬三)。*護れわが空(佐藤惣之助・内田元)、*娘田草船(福田正夫・大村能章)。*旅人(三好達治・下総皖一)、*かもめ(室生犀星・草川信)。*新鉄道唱歌(与謝野晶子・堀内敬三)、*山は呼ぶ野は呼ぶ海は呼ぶ(北原白秋・小田進吾)。*航空決死兵(稲野静哉・内田元)、*征けよますらを(土岐善麿・堀内敬三)。*利鎌の光(相馬御風・中山晋平)、*送別歌 (佐藤春夫・宮城道雄)。*愛国の花(福田正夫・古関裕而)、*戦勝の歌(大江素天・大村能章)。*沈黙の凱旋に寄す(新居あづま・服部良一)、*月の夜更けに(野田代志夫・齊藤佳三)。*新鉄道唱歌(土井晩翠・杉山長谷雄)、*日本刀の歌(西條八十・小田進吾)。*若葉の歌(室生犀星・梁田貞)、*子守唄(三好達治・服部良一)。*みのり(川島寅太郎・成田為三)、*のぞみ(山田千之・藤井清水)、*まどい(西村秀樹・草川信)。* 昼(島崎藤村・小田進吾)、*降魔の利剣(土井晩翠・深海善次)。*黎* 明勤労の歌(稲野静哉・長谷川良夫)、*凱歌(川田順・山田耕筰)。*万歳ヒットラー・ユーゲント(北原白秋・高階哲夫)、*航空唱歌(西條八十・山田耕筰)。*大日本の歌(芳賀秀次郎・東京音楽学校)、*国こぞる(金子基子・信時潔)。遂げよ聖戦(柴野為亥知・長津義司)、傷痍の勇士(土岐善麿・堀内敬三)。新鉄道唱歌(相馬御風・杉山長谷雄)、白百合(西條八十・大中寅二)。*国に誓う(野口米次郎・信時潔)。*その火絶やすな(北原白秋・JOBK文芸課)、*大建設の歌(柴野為亥知・大沼哲)。*振え日本国民(河井酔茗・田村虎藏)、*広野の開発(土岐善麿・乗松昭博)。*愛馬進軍歌(陸軍省選定)、*ヒュッテの夜(深田久弥・高木東六)。*山時鳥(石川啄木・益子九郎)。*事変下に陸軍記念日を迎う(柴野為亥知・大沼哲)、*日章旗を仰いで(稲野静哉・内田元)。戦友の英霊を弔う(柴野為亥知・近衛秀麿)、*大槻一等水兵(武井大助・朝永研一郎)。*輝く海軍記念日(海軍軍事普及部・紙恭輔)、*戦死者をまつる歌(松島慶三・海軍軍楽隊)。囀り(三木露風・平岡照章)、潮音(島崎藤村・益子九郎)。*太平洋行進曲(海軍省選定)、軍国登山の歌(中林唯夫・飯田信夫)。聖戦第二周年を迎う(柴野為亥知・紙恭輔)、大日本傷痍軍人歌(相馬御風・海軍軍楽隊)。防空青年の歌(柴野為亥知・古関裕而)、旅愁(岩田九郎・大中寅二)。戦車隊の歌(教育総監部選定・紙恭輔)、戦車兵の歌(同)。興亜奉公の歌(野口米次郎・信時潔)、満州事変八周年記念歌(鈴木繁・大沼哲)。くろがねの力(浅井新一・江口源吾)、出征航路(中林唯夫・小田進吾)。のぼる朝日に照る月に(落久保音市・山田耕筰)、銃後の日本大丈夫(陸名一郎・名倉○)。海の歌(西條八十・佐藤長助)、敵前掃海者の謡(佐藤春夫・片山穎太郎)。空の勇士(大槻一郎・蔵野今春)、出征兵士を送る歌(陸軍省選定)。紀元二千六百年(略)。紀元二千六百年頌歌(東京音楽学校)、船出の歌(前田鉄之助・清瀬保二)。春待草(福田滋子・長谷川良夫)。肇国景仰の歌(土岐善麿・深海善次)、かえり道の歌(竹中郁・古関裕而)。誓い(北村冴子・伊藤完夫)、蚕(松岡貞子・野村茂)。母の背は(武田葛・佐伯自助)、若き妻(片山春美・志摩一郎)。新政讃頌(高野辰之・信時潔)、弔魂歌(町田敬二・伊藤昇)。暮(島崎藤村・小田進吾)。防空の歌(伊藤宏・佐々木俊一)、暁に祈る(野村俊夫・古関裕而)。燃ゆる大空(作用惣之助・山田耕筰)、紀元二千六百年海軍記念日の歌(高橋俊策・江口夜詩)。産業報国歌(北原白秋・高橋哲夫)、隣組(岡本一平・飯田信夫)。満州国皇帝陛下奉迎国民歌(永島勇之助・陸軍戸山学校軍楽隊)、蘭花の頌(白鳥省吾・信時潔)。海を渡る荒鷲(勝承夫・海軍軍楽隊)。興亜行進曲(今沢ふきこ・福井文彦)、用心づくし(岡本一平・服部正)。南進男児の歌(若杉雄三郎・古関裕而)、日本婦人の歌(相馬御風・深海善次)。国民進軍歌(下泰・佐々木すぐる)、警防国家(大日本警防協会・東京音楽学校)。航空日本の歌(舟木準・佐々木すぐる)、手を取り合って(中央教化団体連合会)。靖国神社の頌(佐藤春夫・大中寅二)、日本勤労の歌(安藤外之・河村光陽)。靖国神社の歌(陸軍省海軍省・帝国軍楽隊)、興亜の妻(西川好次郎・平岡照章)。嗚呼北白川宮殿下(二荒芳徳・古関裕而)。国民協和の歌(中央協和会大政翼賛会・橋本国彦)、歩くうた(高村光太郎・飯田信夫)。
 『国民歌謡選集』の八輯は1939年6月3日の発行で、九輯以後が刊行されたとしたら、後の方の番組終了までの(76輯が1940年12月15日の発行)国民歌謡もいくつか収録されただろう。これ以上の資料がないので残念ながら未確認である。なお、『国民歌謡選集』に収録されているが、ラジオテキストには見あたらない歌謡曲がある。国民歌謡の線引きが官庁的な放送協会の恣意であった証拠である。それらも列記しておく。
兵隊さんよありがとう(橋本善三郎・佐々木すぐる)。ぼくらのお馬(陸軍省・長谷川堅二)。愛馬行(陸軍省)。呉松鎮の上陸戦(堀内敬三)。長江行進曲(同)。南京攻略(同)。壮烈加納部隊長(同)。大陸日本の歌(北原白秋・山田耕筰)。農民の歌(佐藤春夫・大木正夫)。男海ゆく(土岐善麿・堀内敬三)。こどもの報告(高村光太郎・箕作秋吉)。子等を思う歌(山上憶良・荻原英一)。金槐集より(源実朝・佐々木すぐる)。若い日本だよ(大西勉・長谷川良夫)。
 「國民歌謡」が番組名を「國民合唱」と改称して完全な戦意昂揚番組に変質したのは1942年2月8日のことだった。手元に日本放送協会が発行した『國民合唱』が一輯(1942年7月5日発行)から十一輯(1944年10月25日発行)まである。これ以後に同輯が発行されたのかどうかは不明である。(「國民合唱」については後で触れるが、『少国民は忘れない』(1982年)も参照されたい。)

 この2月8日は1941年12月8日の開戦を記念して「この日は皇国に生をうけたもののひとしく永遠に忘れることができない日で新秩序建設の大使命を天皇陛下より負荷された記念日であるから、この戦争の完遂まで毎月八日を大詔奉戴日と定めた」(1942年1月2日の内閣告諭)第二回目の大詔奉戴日であった。
大詔奉戴日が定められ、その第一回の1942年1月8日、日本放送協会と大政翼賛会は共同主催で「大詔奉戴日国民大合唱と吹奏楽大演奏会」を日比谷公会堂で開催した。同じような音楽会は年が変わって8日までに三回開催されている。
 まず1月4日(日)である。東京市(東京が都制を実施するのは翌年)は日本音楽文化協会協賛、情報局、陸軍省、海軍省後援で「大東亜戦争士気昂揚音楽大行進」を開催した。陸軍軍楽隊、海洋吹奏楽団、官庁・各学校・工場・各種団体などに所属する吹奏楽団、喇叭隊、女子鼓笛隊をAB二班に分け、Aは上野動物園から万世橋、日本橋経由で皇居前に、Bは四谷見附公園から虎ノ門、新橋経由で皇居前へ、音楽大行進をした。
 1月5日には、東京市主催音楽挺身隊協賛の「有栖川宮記念士気昂揚大演奏会」が日比谷公会堂で開催された。
 日本音楽文化協会は情報局の指導で結成された社団法人。会長は徳川義親で副会長が山田耕筰、顧問には大倉喜七郎、岡部長景、加藤成之、京極高鋭、近衛秀麿、武井守成、武富邦茂、徳川頼貞、乗杉嘉寿、藤山愛一郎。参与には田辺尚雄、堀内敬三、小松耕輔、増沢健美、三浦環などの名がある。理事長・辻順治。常務理事は作曲部が清瀬保二、演奏部が山本直忠、教育部柴田知常、国民部奥田良三、評論部辻順治。
 2月1日に東京市が主催した日比谷公会堂での「大東亜童謡と舞踊大会」は写真が残っているが、プログラムは不明。海洋吹奏楽団は海軍軍楽隊の出身者で組織されている団体、音楽挺身隊は日本演奏家協会員が隊員であった。このような開戦にともなう狂態は、開戦の翌日、12月9日に藤原義江、藤山一郎等の声楽家が海洋吹奏楽団に依頼して開催した「米英撃破軍歌大合唱」が嚆矢で、日比谷公園の音楽堂は2万人の聴衆であふれた。つづいて、大政翼賛会移動宣伝班が12月10日に上野公園で国民歌大合唱会を開催している。
 「有栖川宮記念士気昂揚大演奏会」と「大詔奉戴日国民大合唱と吹奏楽大演奏会」のプログラムがあるので、それぞれの内容を略記しよう。
  「有栖川宮記念士気昂揚大演奏会」は午後一時から始まった。
国民儀礼・内田栄一。日独伊国歌演奏・指揮山田耕筰。講演・武富少将。 有栖川宮御歌・独唱三浦環。第一部、吹奏楽・早川弥左衛門指揮、海洋吹奏楽団。男声合唱・秋山秀雄指揮、興亜挺身合唱団。日本歌曲独唱・灰田勝彦、留田武、加古三枝子、滝田菊江、辻輝子、長門美保、永田絃次郎、松島詩子、牧嗣人、佐藤美子、下八川圭祐。歌唱指揮・伊藤武雄。吹奏楽・山田耕筰指揮、海洋吹奏楽団 除隊奉戴式。挨拶・山田耕筰。音楽挺身隊隊歌合唱・全隊員。第二部、ドイツ歌曲独唱・田中伸枝、矢田部勁吉、増永丈夫、木下保、平原寿恵子。混声合唱・木下保指揮 東京交声合唱団。イタリア歌曲独唱・原信子、藤原義江、浅野千鶴子、三上孝子、三浦環。 混声合唱・内田栄一指揮 ヴォーカル・フォア。聖寿万歳・発声萩原英一。
 「大詔奉戴日国民大合唱と吹奏楽大演奏会」は正午、ラジオの大詔奉読、東條首相の「大詔を拝し奉りて」、ついで「愛国行進曲」「敵は幾万」「軍艦」「海ゆかば」の大合唱が、辻順治指揮で東京市民合唱団、日本放送合唱団、都下学生ら1200名によって唱和された。伴奏は星櫻吹奏楽団、ビクター吹奏楽団、日管吹奏楽団。指揮者の辻順治(1882〜1945)は陸軍戸山学校軍楽隊の隊長である。第二部は吹奏楽演奏で、全関東吹奏楽団連盟に加盟の学校、青年団、会社、工場の吹奏楽団や喇叭隊が参加した。曲は「陸軍分列行進曲」「軍艦行進曲」「輝く御稜威」「躍進日本」「我等の軍隊」「皇軍の門出」。
 第二回大詔奉戴日の二月八日から毎週火、木、土の午後七時半、「政府の時間」に引き続いて放送される「国民合唱」は、指導者つきの二部合唱であって、今後続々放送されます。この企画は放送局が音楽による厚生運動の一環として、一億国民の皆唱をめざしたもの。二部合唱は一番手軽である上に音楽の基礎的なものであり、最も効果的あるためである。曲はこの目的にそうきわめてやさしいものばかりで、特に指導者をつけて一曲を6回(二週間)づつ放送する。放送予定・第一回「此の一戦」第二回「朝だ元気で」第三回「海ゆかば」。(放送局の番組案内要約)
 自らも国民合唱曲を作曲した弘田龍太郎(1892〜1952)は、「国民合唱」について、つぎのようにのべている。一般民衆の音楽的教養が高まったから音程や律動をいろいろ気にせずのびのびと作曲出来るようになった、と最近の傾向をのべ……
……国民合唱は既に人の知る通り放送協会音楽部で企画したものであるが、種々の企画の中で最もよいものの一つであったし、又成功したものでその点で音楽部の努力に大いに感謝の意を表する。放送は僅かの時間であるが、二週間に渡って大体六回続けて行っていることもよいし、又夜八時前というこの時間が聴取者にも都合がいい……
 と提灯持ちしている(「国民合唱について」『音楽公論』1943年1月号)。
 第一回の「國民合唱」はラジオ常会の番組が割り込んだため、午後8時からの放送となった。山田耕筰の挨拶があり「月月火水木金金」を歌った内田栄一が合唱の指導をした。曲目は大政翼賛会の標語「此の一戦何がなんでもやり抜くぞ」を信時潔が作曲した「此の一戦」である。単声か混声の二部追いかけの歌唱。合唱指導は番組の予告どおり二週間続けられて終了した。しかし、信時潔の作曲にもかかわらず世評は悪かった。二月下旬からは「朝だ元気で」(八十島稔・飯田信夫)が放送された。
 次号から国民合唱にふれる。放送局の常連作曲家・飯田信夫(1903〜?)は東京帝国大学工学部出身の学士さんだが、アジア・太平洋戦争下では文化戦士としてバタビヤに進軍したため、国民合唱の作曲数がすくない。以下次号

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