空席通信
2002.10.31 No.110

歌と戦争 9

 軍隊小唄(兵隊ソング)の中には軍隊外でも歌われたものがある。また軍隊ソングに似た替え歌も巷間では歌われていた。民間ソングとでもいおうか。それで思い出したことがある。「紀元二千六百年」が愛煙家の怨嗟の歌になって歌われたと前述したが、この歌の作詞者増田好生が風巻景次郎である、という論文があるそうだ。風巻景次郎(1902〜60)は『新古今時代』で知られる国文学者。北大教授として、北海道では有名な学者だが、そのためか道内で実にたくさんの校歌を作詞している。その全貌をチェックしたわけではないから断定しないが、彼なら、選定者側となれ合いの投稿もありそうな話である。戦争の時流を避けて東京から地方に降ったなどという話は神話にすぎないのだろう。作曲者の森義八郎が女学校の音楽教師で酒乱だったこと、新民謡や童謡などを作曲していることなどはよく語られるが、増田好生については、そういえば余り聞かない。森が他界していなかったら是非聞きたかった。だれか、このあたりの平仄を聞かせてくれないだろうか。
 民間ソングは、歌われた地域によって、いろいろ替えられた。「愛国行進曲」の替え歌「見よ東條の禿頭……」、「旅の夜風」は「窓もガラスも踏み越えて行くが闇屋の生きる道……」、「湖畔の宿」は疎開学童によって後半が「かゆいかゆいに耐えかねてボリボリぼりぼり取っては潰すしらみとり……」になった。また、「湖畔の宿」は、地域によっては「昨日生まれたブタのこがハチにさされて名誉の戦死……」などとも歌われた。このような戯れ歌に興味があったら、高橋碩一の『歴史の眼』(三一新書)を参考にするといい。
 本信108号109号に『翼賛詩歌曲集』(1942.10・柴山教育出版社編)と『皇紀二千六百年奉祝歌謡集』(1940.2・日本作歌者協会編)の書影を紹介しておいた。前者は教育書の出版社が「聖戦目的完遂の途上にあって、戦線も銃後も共に国家一丸となっての総力を発揮するべく、国民の心と心をしっかり結ぶ、其の総親和に絶好の資料と思惟される所以から」(柴山格太郎「後記」)発行されたもの。二人の詩人・山田岩三郎と稲津静雄が編纂協力している。高村光太郎の「朗読詩について」の文章を巻頭に、第一部朗読詩、第二部朗詠歌、第三部国民合唱の構成である。
 第一部にはおなじみの光太郎、堀口大学、三好達治、佐藤春夫、野田宇太郎などの戦争詩が38編あり、さきごろひょんな事から「南方の国」で評判になり旧詩集が復刻されるとかいわれている竹内てるよの「美しき朝」も収録されている。
  ……
  美しき朝
  南方の国々に、砲声ひびき
  一億の胸に こだまし来る。
  愛児たたかひに出で行く朝
  母は心清らかに武運を祈り
  曾て日本の母たちが
  母の大義を生きたるごとく
  尊き大神達の御恩頼と 祖先の御力を信じ
  みいつの下の かちいくさに
  いのちささぐるわが子の母として
  悠久の光栄と その責務を知る。(「美しき朝」部分)

 第二部は佐々木信綱、白秋、與謝野晶子、齊藤茂吉らの短歌で、なんと情報局検閲官僚として威張りまくった逗子八郎(井上司朗)の歌が収録されている。
 第三部が本信に関係するところで、ここには以下のような「国民合唱」曲が楽譜とともに収録されている。選ばれた規準は不明。
 海ゆかば、愛国行進曲、大詔奉戴日の歌、南へ進む日の御旗、今年の燕、夏は来ぬ、忠霊塔の歌、世界の果までも、僕等の団結、連峰雲、朝だ元気で、若い力、海行く日本。


『皇紀二千六百年奉祝歌謡集』は歌謡の作詞者や研究者を会員とする協会(社団法人日本作歌者協会・理事長小林愛雄)が皇紀二千六百年の記念事業の一環として会員から奉祝歌を募集、応募作品の中から雅楽九編、唱歌二八編、童謡二〇編、民謡八編を選んで発行された。この協会は戦時下に『日本詩年鑑』、『聖戦詩集 御民征く』を上梓している。1943年9月現在の会員名簿を見たが、大木惇夫、大岡博、與田準一、堀内敬三、西條八十ら110名の中に風巻景次郎も、増田好生の名前はなかった。そんなことはともかく、この会員たちが戦時下に作詞者として活躍した中心的人物たちであることは間違いないだろう。そして戦後も歌謡界で大きな顔をしていた──。
 協会の定款によると、顧問や役員の数が定められている。1944年度の役員名を列記しておこう。
 日本作歌者協会役員
 理事長 小林愛雄
  理事 葛原しげる、久保田宵二、林柳波、堀内敬三、松原至大。
  幹事 河井酔名、佐々木信綱。
  評議員 葛原しげる、久保田宵二、小林愛雄、西條八十、
      清水かつら、高橋掬太郎、武田雪夫,都築益世、       野口雨情、服部嘉香、林柳波、堀内敬三、松原至大。
『皇紀二千六百年奉祝歌謡集』に収録された歌謡で、実際に作曲されたものがあるのか不明である。
 1943年に新興音楽出版社から発行された『聖戦詩集 御民征く』は題字を島崎藤村が、装幀を浅井真がやった函入りの本格的な造本で、「謹んで此の聖戦詩集を帝国陸軍・海軍に捧ぐ」と言った献辞を巻頭に大本営陸軍報道部・陸軍中佐秋山邦雄、大本営海軍報道部課長・海軍大佐平出英夫の「推薦の辞」がある。
編集責任者は葛原しげる、久保田宵二、小林愛雄、林柳波の四名。白秋の「ハワイ大海戦」をはじめ、実際に作曲されて歌われたものから、作曲はされなかったものまで、93篇の歌謡が収録されている。当時の作詞家を総動員したアンソロジーだ。

 104号で「あゝ日本の軍歌」を紹介したが、同じ会社から「露営の歌」と題する軍歌・戦時歌謡大全集が発売された。180曲収録されているが、すべて当時のものをそのまま復刻(?)している。これは一聴の価値がある。塩まさる、近衛八郎、由利あけみの歌声など二度と聞けないだろう、と思っていたが、やはり保存されていたのである。都合が悪い時はひた隠し、商売になるとぞろぞろと出てくるすごい商魂である。この大全集の広告が新聞に掲載されたころ、詩人サトウハチローを慕う「木曜会」の記事があった。「サトウハチローを覚えているだろうか。ベストセラーになった詩集「おかあさん」や、童謡「ちいさい秋みつけた」などの詩と、子どもの心を失わないおおらかな人柄が愛された、昭和を代表する詩人だった」と紹介されている。「木曜会」は、そんな「昭和を代表する詩人」を慕う人たちの勉強会で毎週木曜日に集まって勉強しているそうである。わたしとは全く逆の評価をしている人たちもいることを知っておく必要もあるだろうから、紹介した。「木曜会」は現在もハチローの直弟子たちによって続けられ、『木曜手帳』なる機関誌もあるそうだ。
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