空席通信
2003.9.26 No.116

歌と戦争 15


 贔屓の阪神タイガースが、久しぶりに優勝した。この前の優勝は1985年だった。その時は神宮球場まで出かけたが、今回は神宮にも甲子園にも行けない。にわかファンが多くてチケットがないからだ。
 私は若林忠志監督の時代からタイガースを応援してきた。阪神が優等生顔をした巨人軍をやっつけると、めっぽう気分がよかったものだ。藤村富美男や御園生崇男の名前はわが青春の一ページを飾っている。「大阪タイガース(大阪野球倶楽部)の歌」が、またいい。球団がコロムビアに依頼して出来上がったものだが1936年3月25日に発表された。この時製作され発表会に招待した人たちに配った非売品レコードは正確にはわからないが200枚ほどだったらしい。今では稀覯の所謂幻のSP盤レコードである。大阪の千日前にあるスナック「すなっく音聴話」に一枚保存されている。一度聞いたことがあるが、球団名が「大阪タイガース」になっている以外は現在のものと違っていないようだ。佐藤惣之助が作詞し、古関裕而が作曲している。歌ったのはディック・ミネとともに我が国のジャズシンガーとして有名だった中野忠晴(1909〜70)。はじめてヨーデル調の「山の人気者」を歌ったのは彼である。作曲家の郷里・福島に古関裕而記念館があるが、そこにもう一枚幻のSP盤があるそうだ。ただし、こちらは割れているそうである。この幻の盤は「2003年阪神タイガース選手別応援歌」(コロムビア)というCDに復刻収録されているから、聞くことができる。
 優勝決定の、大阪の夜は正に狂騒である。タイガースファンとして、こういうのはあまり好きではない。シンガポール陥落の戦勝祝賀の提灯行列や、ヒットラーに熱狂するベルリンの人群れを想起するからだ。集会場でもないところに人が集まって、このように狂騒する時は、まずろくなことがないと思っていたほうがいい。本当の阪神ファンは、あのようなバカ騒ぎをしない。戎橋に集まった人たちは野次馬たちでタイガースファンではない。
 佐藤惣之助の名で思い出すのは、三好達治を絡めた女性との三角関係である。萩原朔太郎が絡んでいるから有名な話だが、「赤城の子守唄」が『春の岬』に勝った顛末は小説にもなっているから知っている人も多いだろう。『春の岬』は大好きな詩集だが、達治は戦中の激しい愛国精神発露で人格が下がってしまった。惜しい詩人だ。
 繰り返しになるが、古関裕而はヨナヌキの名曲といわれている「露営の歌」の作曲者で行進曲王といわれている人物。一球団の歌が、これほど全国的に知られている例はあまりない。惣之助の歌詞もそうだが、それ以上にメロディーがうけるのだろう。そういえば、夏の甲子園で繰り広げられる高校野球の時にも彼の名曲(?)「栄冠は君に輝く」(加賀大介作詞)が響き渡る。この歌も知らない人はいないだろう。
 阪神の応援で名物なのは、この球団の歌とジェット風船だろう。風船が舞い、「六甲おろし……」が合唱される様は異様である。仕事で大阪に出掛ける際は、出来るだけ甲子園にも足をのばすようにしているが、試合を見終わってホテルにもどっても、しばらくは耳鳴りがしている。そのくらい凄い。面白いのは、一方の宿敵「巨人軍」の応援歌「闘魂こめて」(椿三平作詞西條八十補作)の作曲者も古関裕而であることだ。同じ人の作曲した応援歌が敵味方で歌われているのは何とも皮肉なものである。古関はこのようなことには拘らないのか、慶応義塾の応援歌も作曲している。早慶戦で同一人の曲が敵味方と入り乱れるのだ。
 彼は行進曲王といわれるだけあって、東京オリンピックの「オリンピックマーチ」、NHKのスポーツ放送番組のテーマ曲、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」なども彼の作品である。
 服部良一(1907〜93)の戦時下の作品にふれたが、古関裕而(1909〜89)の作品も瞥見しておこう。服部は大阪の実践商業学校を中退している。古関は福島商業学校の出身で、両者とも似たような経歴である。服部は93年に国民栄誉賞を受賞したが、古関には、そのような賞がないところが違いだろうか。古関は弱冠20歳でイギリスの作曲コンクールに二等入選している。歌謡作曲界へのデビューは1930年で故郷をテーマとした「福島夜曲」(竹久夢二・河原喜久恵)である。その後、雌伏の時間が長く、34年の「利根の舟歌」(高橋掬太郎・松平晃)でやっと注目されるようになった。

海の進軍(クリックで拡大)

古関裕而 戦時下歌謡曲
(記載は服部と同じだがレコード会社は省略)
 1934年
  義人村上(佐藤惣之助・中野忠晴)
  河原すすき(高橋掬太郎・松原操)
  利根の舟唄(前記)
  晴れて逢う夜は(時雨音羽・赤坂小
  梅)

 1935年
  来たよ敵機が(霞二郎・伊藤久男)
  三日月娘(佐藤惣之助・淡谷のり子)
  沖のかもめ(久保田宵二・松平晃)
  月のキャンプ(久保田宵二・松原操)
  ヒュッテの一夜(佐藤惣之助・松原操)

 1936年
  月の国境(佐藤惣之助・伊藤久男)
  キャンプは更けて(西條八十・二葉あき子)
  朝霧夜霧(高橋掬太郎・豆千代)
  女と人形(高橋掬太郎・豆千代)
  月の国境(佐藤惣之助・伊藤久男)
  戦友の唄(久保田宵二・伊藤久男)
  浜は九十九里(高橋掬太郎・音丸)

 1937年
  別れのトロイカ(松村又一・松平晃)
  田舎の雪(西條八十・音丸)
  浅間の煙(西條八十・赤坂小梅)
  出征の歌(西條八十・伊藤久男)
  慰問袋を(高橋掬太郎・コロムビア合唱団)
  弾雨を衝いて(同上・伊藤久男)
  母を讃える歌(太田勝美・松原操)
  神風歓迎歌(土岐善麿・中野忠晴)
  楽しいわが家(高橋梨人・伊藤久男)
  おはら浜歌(高橋掬太郎・音丸)
  浅草の灯(佐藤惣之助・伊藤久男)
  露営の歌(藪内喜一郎・中野忠晴ほか)
  雪の陣営(高橋掬太郎・伊藤久男)
  乙女十九(西條八十・二葉あき子)
  国境の旗風(久保田宵二・霧島昇ほか)
  塹壕夜曲(伊藤和夫・佐々木章)
  壮烈空爆少年兵(西條八十・二葉あき子)

 1938年
  夜船の夢(高橋掬太郎・音丸)
  皇軍入城(西條八十・伊藤久男、霧島昇)
  勝利の乾杯(西條八十・伊藤久男ほか)
  命捧げて(久保田宵二・豆千代)
  こよい出征(西條八十・伊藤久男)
  南京陥落(久保田宵二・松平晃ほか)
  愛国の花(国民歌謡。福田正夫・渡辺はま子)
  戦線夜話(久保田宵二・伊藤久男)
  婦人愛国の歌(仁科春子・二葉あき子)
  形見の日章旗(上田良作・伊藤久男)
  黄河を越えて(上田良作・霧島昇)
  憧れの荒鷲(西條八十・松原操、二葉あき子)
  続露営の歌(佐藤惣之助・伊藤久男、霧島昇)

 1939年
  麦と兵隊(原嘉章・松平晃)
  戦場だより(八木沼丈夫・松平晃)
  脇坂部隊の歌「岸中隊南京一番乗り」(中山正男・伊藤久男)
  花の亜細亜に春が来る(久保田わかえ・霧島昇、松原操)
  戦時市民の歌(中川二郎・伊藤久男、松原操)
  戦場花づくし(西條八十・渡辺はま子)
  さくら進軍(同上・松平晃、霧島昇)
  母の歌(久保田宵二・松原操)


暁に祈る(クリックで拡大)

嗚呼北白川宮殿下(クリックで拡大)

かへり道の歌(クリックで拡大)

南進男児の歌(クリックで拡大)

戦陣訓の歌(クリックで拡大)
 1940年
  荒鷲慕いて(西條八十・松平晃ほか)
  南洋行進曲(野村俊夫・藤山一郎ほ
  か)
  旅の松花江(久保田宵二・菊池章子)
  乙女の戦士(西條八十・高峰三枝子)
  暁に祈る(国民歌謡。野村俊夫・伊藤
  久男)
  蒙古の花嫁さん(久保田宵二・渡辺は
  ま子)
  光に立つ(戸川貞雄・藤山一郎、二葉
  あき子)
  空の船長(西條八十・中野忠晴ほか)
  起てよ女性(西條八十・菊池章子、二
  葉あき子)
  嗚呼北白川宮殿下(国民歌謡。二荒芳
  徳・?)
  かえり道(国民歌謡。竹中郁・?)
  南進男児の歌(国民歌謡。若杉雄三
  郎・楠木繁夫)

 1941年
  七生報国(野村俊夫・伊藤久男)
  みんな揃って翼賛だ(西條八十・霧島
  昇ほか)
  男心は波に聴け(野村俊夫・伊藤久
  男)
  赤子の歌(野村俊夫・伊藤久男)
  国民恤兵歌(佐藤惣之助・伊藤久男、
  霧島昇)
  戦陣訓の歌(佐藤惣之助・伊藤久男、
  伊藤武雄
  元気で行こうよ(西條八十・霧島昇)
  日本子守唄(安孫子省三・松原操)
  海の進軍(海老名正男・藤山一郎ほ
  か)
  山西討伐行(加藤知多雄・伊藤久男)
  君と共に歌わん(サトウハチロー・霧
  島昇、松原操)
  宣戦布告(野村俊夫・霧島昇)
  皇軍の戦果輝く(野村俊夫・伊藤久
  男)
  怒濤万里(日本放送文藝当選作・藤山
  一郎)
  英国東洋艦隊潰滅(高橋掬太郎・藤山一郎)
  世紀の決戦(野村俊夫・松平晃)

 1942年
  東洋の舞姫(野村俊夫・渡辺はま子)
  感激の合唱(野村俊夫・伊藤久男、二葉あき子)
  断じて勝つぞ(サトウハチロー・藤山一郎)
  シンガポール晴の入城(野村俊夫・伊藤久男)
  アッツ進軍歌(作詞者不詳)
  主はつわもの(高橋掬太郎・菊池章子)
  つばさの力(国民合唱。佐藤惣之助)
  鈴蘭の花(国民歌謡。白鳥省吾)
  大東亜戦争陸軍の歌(佐藤惣之助・伊藤久男ほか)
  村は土から(農林省選定・藤山一郎ほか)
  空の軍神(西條八十・藤山一郎)
  空征く日本(野村俊夫・伊藤久男、楠木繁夫)

 1943年
  みなみのつわもの(南方軍報道部選定・伊藤久男)
  わが家の風(西條八十・伊藤久男)
  若鷲の歌(西條八十・霧島昇、波平暁男)
  決戦の大空へ(西條八十・藤山一郎)
  海を征く歌(大木惇夫・伊藤久男)

 1944年
  ラバウル海軍航空隊(佐伯孝夫・灰田勝彦)
  あの旗を撃て(大木惇夫・伊藤久男)
  亜細亜は晴れて(西條八十・二葉あき子)
  ヨカレン節(檜山陸郎・霧島昇、近江俊郎)
  水兵さん(米山忠雄・近江俊郎、霧島昇)
  比島血(決)戦の歌(西條八十・酒井弘、朝倉春子)
  海の初陣(西條八十・伊藤久男、近江俊郎)
  突撃喇叭鳴り渡る「一億総決起の歌」(勝承夫・近江俊郎ほか)
  決戦の海(与田準一・伊藤武雄)
  母は戦さの庭に立つ(朝倉安蔵・波平暁男、松原操)

 1945年
  台湾沖の凱歌(サトウハチロー・近江俊郎、朝倉春子)
  雷撃隊出動の歌(米山忠雄・霧島昇、波平暁男)
  嗚呼神風特別攻撃隊(西條八十・伊藤武雄、安西愛子)

「比島血(決)戦の歌」は文献によっては「決戦」とあるものと「血戦」とあるものと二種類ある。現物の楽譜を探しているが、なかなか見つからない。「血」と「決」の判定は暫くおあずけである。この歌は西條八十の作詞だが「出て来いニミッツ・マッカーサー 出て来りゃ地獄へ逆落とし……」といったもの。戦後になって、この歌詞は軍部が勝手に組み込んだもの、などといわれてる。例えば八巻明彦の『軍歌でみる日本戦争史』に、つぎのような記述がある。
 西條八十作詞ということになっている「比島決戦の歌」などは軍部から「敵愾心をあおる歌を作れ」と命じられた上、敵将の名前を入れろ、との注文だった。作家が断ると、打ち合わせに来ていた中佐が書いてみせたのが……出て来いニミッツ マッカサー 出てくりゃ地獄へさか落とし、という驚くべき歌詞であった。これが、ちゃんと歌として通用させられた時代であった。
 このエピソードの真偽のほどは、もう判らない。文中の「作家」は西條八十のことだろう。「中佐」も情報官だろうから、特定できそうだ。しかし、そんな詮索は意味ないだろう。私は、東條大将が戦犯として逮捕された時、「ゲイシャワルツ」の作詞家・八十は、つぎは西條ではないかと青くなって震えていたという、巷説を思い出す。東のつぎは西だなんて出来すぎた噺だ。敗戦後は、何でも悪者は軍部というムードであったことを忘れてはいけない。今でも文献にはちゃんとこの歌の作詞者は西條八十と記録されている。作詞代金も支払われているだろう。
 敗戦後、古関裕而は「雨のオランダ坂」(菊田一夫・渡辺はま子)で、再び歌謡界の舞台に華々しく登場する。その活躍のあとをたどったら、「雨のオランダ坂」「夢淡き東京」「白鳥の歌」「とんがり帽子」「フランチェスカの鐘」「長崎の鐘」「イヨマンテの夜」「憧れの郵便馬車」「ニコライの鐘」「みどりの雨」「君の名は」「黒百合の唄」「高原列車は行く」など、きりがないほどである。インターネットで検索すれば、彼が作曲した校歌がおびただしくあることもわかるだろう。彼にとって、戦争は痛くも痒くもなかったのである。
以下次号
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