空席通信
2004.3.18 No.120

歌と戦争 19


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 古関裕而の「比島血戦の歌」(血戦は決戦と表記する資料が圧倒的に多いが、ここでは血戦と表記する)にふれた。この歌にまつわることが、いろいろ解ってきた。それらのエピソードをまとめておこう。
 この歌は、レイテ沖海戦を前に、敵愾心昂揚をねらって、軍部が讀賣新聞社に作歌を依頼した「国民合唱」である。資料の中には軍部に「命令」されて讀賣新聞が行った、などと表現しているものもある。「依頼」と「命令」だと、感じがだいぶ違う。この種のレトリックに日本人は巧妙である。「全滅」と「玉砕」。「退却」と「転進」。「遺棄」と「残留」。「侵略」と「進攻」。枚挙にいとまがない。「敗戦」と「終戦」もそうだ。
 米軍がフィリッピン奪還のためにレイテ湾口のスルアン島に上陸したのは、1944年10月17日であった。それからレイテ沖で日米の機動部隊が衝突する。日本の大本営はこの作戦を「捷1号」と称した。戦艦武蔵が撃沈され、神風特別攻撃隊と自称する自殺体当たり攻撃が始まったのはこの時だった。レイテ沖海戦の大要である。
「比島血戦の歌」は、資料などによると、1945年3月にニッチク(日蓄・コロムビアの戦時下の呼称であることは先述した)からレコードが発売されている(レコード番号100930A)。残っている「レコード・レベル原稿」によれば、レコード吹き込みが1944年12月26日。しかし、実際は、レコードの制作材料が不足で、レコード化は実現しなかった、などともいわれている。このあたりの真偽はもうわからない。わたしは、この歌を学校で習った記憶はないが、歌えるのだから、ラジオなどでくりかえし聴いて覚えたことは間違いない。すくなくとも放送用レコードは存在していた筈である。
 1995年、日本コロムビア、ビクター、キング、テイチクの4社が戦後50周年の記念共同企画事業として「軍歌戦時歌謡大全集」のCDを発売した。それに収録されている「比島……」は、当時の原盤から収録したものではない。
 その事業に参加した日本コロムビアのディレクター清水英雄は、会社の記録には1945年3月発表の新譜リストに掲載されているが、楽譜が残っているだけで、録音の原盤はなかった、と証言している。その証言の信憑性を証明するかのようだが、たしかに当時のSPレコードは、現在まで一枚も発見されていないのである。記念共同企画事業の、編曲を担当した江口浩司は、かつてテレビの軍歌番組で「比島……」を取り上げるため、古関裕而をたずねて楽譜の拝借を願ったが「これだけは演奏するのはやめていただきたい」と断られたことを証言している。東條英機のつぎは西條だと、八十が青くなっていたくらいだから、作曲者も震え上がっていたのだろう。地獄へ逆落としする筈のマッカーサーが日本占領軍の最高司令官として日本にやって来たのだから無理ない。で、徹底的な証拠隠滅がおこなわれた、と推察できるだろう。
 軍歌のサイトを詳細に調べれば、「比島……」の歌は、当時のものではないが、聴くことができる。わたしは、ソプラノ歌手・藍川由美のCD「レクイエム」で聞いているが、サイトの歌も時々聴く。
 当時に歌っていたのは、酒井弘と朝倉春子であった。朝倉春子はサトウハチロー作詞、古関裕而作曲の「台湾沖の凱歌」の歌手だが、経歴は不明。酒井弘は1937年にポリドールから「春の感傷」(南条歌美・長津義司)でデビューした歌手。当時は「三村博」と称していた。東京音楽学校(芸大)出身。母校で1982年まで助教授だった。1996年12月に82年の生涯を閉じている。「ハワイ海戦」「大東亜戦争陸軍の歌」「大東亜戦争海軍の歌」「台湾青少年団歌」など、彼が歌っているものは多いが、彼を有名にした歌は「戦友の遺骨を抱いて」と「ああ紅の血は燃ゆる」である。前者はシンガポールが陥落して皇軍(と当時はいった)が入城した際の歌。後者は学徒出陣の歌だ。
 歌詞を紹介しておこう。

  比島血戦の歌 西條八十作詞 古関裕而作曲

  1 血戦かがやく亜細亜の曙
    命惜しまぬ 若桜
    いま咲き競うフィリッピン
    いざ来いニミッツ、マッカーサー
    出て来りゃ地獄へ逆落とし
  2 陸には猛虎の山下将軍
    海に鉄血 大川内
    見よ頼もしの必殺陣
    いざ来いニミッツ、マッカーサー
    出て来りゃ地獄へ逆落とし
  3 正義の雷世界を撼わせ
    特攻隊の往くところ
    われら一億共に往く
    いざ来いニミッツ、マッカーサー
    出て来りゃ地獄へ逆落とし
  4 御稜威に栄ゆる 兄弟十億
    興亡岐かつ 此の一戦
    あゝ血煙の フィリッピン
    いざ来いニミッツ、マッカーサー
    出て来りゃ地獄へ逆落とし
(歌詞はNHKに残っていた演奏台本から。決戦だけ血戦とした。大川内は大河内、兄弟は同胞、などと表記した資料もある。)

 いま、この歌詞を再読しても違和感はない。当時のことは昨日のことのように鮮明に憶えているし、問題の「いざ来い……」のフレーズも、当時の私たちの敵愾心にぴったりのものであった。「敵将の名前を羅列して誠に品位のない歌詞云々」などは、戦後の平和ぼけした頭脳がいう言葉であろう。正に血煙の戦争で、わたしが「血戦」にこだわるのも、この「ああ血煙の……」とあるからである。3番は「せいぎのいかずち せかいをふるわせ」と歌い、「特攻隊」が出てくる。周知のように日本帝国海軍が体当たり自殺攻撃を始めたのがこのレイテ決戦であるから、この歌を八十が作詞したのは、間違いなく1994年の10月以降であろう。そして世情は、「カミカゼ」の話題で文字通り「出て来いニミッツ、マッカーサー。地獄へ逆落とししてやる」といった敵愾心あふれる状況だった。八十は、そんな世情を巧みに歌い上げたのだろう、というのがわたしの感想である。4番の最後は、「逆落とし」の部分を繰り返して歌っていて、一段と気分を高揚させる効果があったのである。
 丘灯至夫は岡本敦郎が歌ってヒットした「高原列車は行く」、舟木一夫の「高校三年生」、コロムビア・ローズの「東京のバスガール」、島倉千代子の「襟裳岬」などの作詞者である。その彼が『日本のうた・流行歌篇』(1968)でつぎのようにのべている。
 この歌は読売新聞社が敵愾心をあおる歌を作れと軍部から言われ、作詞を西條八十に依頼したもの。とくにその作詞の中には、敵の将軍の名前を全部入れるという注文だった。西條八十もさすがにハラにすえかねて「いくら軍の命令でも、そんなバカげた歌はできぬ。だいいち敵の将軍の名前だけで、歌詞が全部うずまってしまうじゃないか」と断った。ところが、この歌の打ち合わせ会に姿を見せていた陸軍報道部の親泊中佐が「わけはないじゃないか……」とエンピツをなめながら「出て来いニミッツ……」と書き上げてしまった。戦時中、とくに戦争末期には、こうした強制的な作詞がいかに多かったという一例である。
 鉛筆をなめながら、といったくだりは、憎き軍部の感情がもろに表出されていて、よくできた文章である。読んでいて面白い。しかし、面白いことと、真実であることとは、無関係であろう。かつての帝国陸軍の佐官クラスの人物が、えんぴつを舐めながら筆記する習癖がある、などとはにわかに信じられない。親泊中佐の関係者は現在も健在しているから、中佐にそのような品位のない癖があったのか、確かめたい。この丘灯至夫(十四夫)は、西條八十の高弟であることを、書き添えておこう。

 藍川由美は東京芸術大学出身の音楽家。1987年に学術博士号を取得している。彼女の声楽の師のなかに、酒井弘がいる。彼女は内外で演奏活動を行い、1992年に文化庁芸術祭賞を授与された。
 彼女は「レクイエム」の解説書でつぎのようにのべている。古関裕而は「軍歌」と「戦時歌謡」を区別していた、とのべ古関の自伝『鐘よ鳴り響け』(1997・2)より「現在は戦時歌謡など一切を『軍歌』あるいは『軍国歌謡』と呼んでいるが、(露営の歌)は大衆の心から生まれた歌であり、軍の命令による軍歌ではないのである。いわゆる国民一般が歌う歌は、『戦時歌謡』なのである。」といった部分を引用して、
「しかも、彼は、決して戦争に荷担する目的で「戦時歌謡」を書いたわけではない。自分の意思と関係なく戦争に巻き込まれ、命を懸けて戦っている人達や、その家族を慰めるため、また、わが国民に限らず、すべての戦争の犠牲者に対する鎮魂のために、心からの歌を捧げていたのである。」
とのべている。古関裕而の歌が、どのような歴史的背景のもとに成立し、利用されたか、といった視点は、彼女の論理から完全に抜け落ちている。前にちょっとふれたが彼女が「レクイエム」を制作・発売した当時の夕刊には、つぎのような記事もある。
「……ほかの戦時歌謡同様、古関の作品も映画会社や放送局、新聞社などからの依頼が大半だ。作曲依頼を拒める時代ではなかったと思う……ただ、曲は歌詞と違って軍部に書き換えられることがほとんどなかったはず。だから、敗戦を予期していた古関は、戦意高揚の歌詞にもほとんど短調のメロディーをつけています。わたしには、戦争犠牲者への鎮魂歌に聞こえます……」(朝日新聞・1998・8・1。夕刊)
 CD「レクイエム」には16曲の歌が収録されている。最後の「ああ此の涙をいかにせむ」をのぞいて、いずれも聞き慣れたものばかり。中でも、「特別攻撃隊『斬込隊』」の「今宵またゆく斬込隊」のフレーズを聴くと、今でも目頭が熱くなる。わたしたち少国民は、復讐を誓って苦しい飛行体操に励んだのだから。
 このメロディーから鎮魂の心を感じないのはわが感性の悪さだろうか。そう思うそばから、この感慨は、「海ゆかば」をリアルタイムで聞かなかった藍川由美には決して理解出来ないだろう、とも思う。
 平和ぼけの時代に、ステージで歌う戦時歌謡に真実はない。


(以下次号)





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