空席通信
2005.06.15 No.124


戦争と写真 1

 イタリアの映画会社が製作した「荒野の用心棒」(1964)に主演して一躍注目されるようになったクリント・イーストウッド(1930〜・サンフランシスコ生まれ)は、その後、マカロニ・ウェスタンとよばれる「夕陽のガンマン」「続夕陽のガンマン」や警察映画「ダーティハリー」などで一躍世界的スターになり、その人気に便乗して南カリフォルニアのカーメル市長選に立候補、当選し政界にも乗り出した異色の俳優である。彼は、さらに自ら監督・主演して映画「許されざる者」(1992)を発表、同映画はアカデミー作品賞・監督賞をダブル受賞する。最新作「ミリオンダラー・ベィビー」(2004)でまたもアカデミー作品賞・監督賞などを受賞。ほかにも色々な賞にノミネートされ、まさに順風満帆の映画人である。
 その彼が、2005年の春、自家用ジェット機で来日し、東京都庁に現れて石原慎太郎知事を表敬訪問した。東京都小笠原村の硫黄島を舞台にした新作映画「硫黄島の星条旗」の撮影協力をもとめるためだった。

 硫黄島=アジア・太平洋戦争の際に、21000人ほどの日本守備隊と61000人ほどのアメリカ軍が衝突した激戦地。日本軍は1000人ほどの戦傷者をのこして全滅(玉砕)、米軍にも6800人の戦死者、22000人ほどの戦傷者が出た。
 東京から約1200キロの南方に位置する硫黄島は東西8キロ南北4キロの小さな島(面積22.4平方キロ)だが、日本本土空爆戦略の上で、重要な位置を占めていた。この島を航空基地にすれば、サイパン島から飛び立つB29の日本本土無差別空爆作戦に航続距離の短い飛行機が参加出来るからである。
 硫黄島での日米両軍の攻防は1ヶ月余にわたる死闘であった。硫黄臭の立ちこめる小さな島だが、日本軍は地下陣地を張り巡らして上陸してきたアメリカ軍を迎え撃ったのである。日本守備隊の隊長・栗林忠道中将は「愛馬進軍歌」(国を出てから幾月ぞ 共に死ぬ気でこの馬と……)を陸軍省馬政課長のときに選定した軍人である。


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 この激戦の模様は、ニュースや映画などで紹介されているから周知の事だろうが、なかでも島の最南端にある摺鉢山の争奪戦は有名。そこを奪取した米軍が星条旗を掲揚するシーンがAP通信のカメラマンによって撮影された。その写真は全米の新聞の一面に発表されて、国民の士気を高揚させる。そして世界で最も美しい戦争写真といわれた。

 戦争の一瞬をとらえたたった一枚の写真が、国民の戦争推進力高揚に貢献したのである。兵士が星条旗をくくりつけたポールを押し立てようとしている写真を眺めて、わたしはベトナム戦争での、いくつかの報道写真を思い浮かべた。UPIの通信カメラマンだった沢田教一の写真や石川文洋の写真である。それらの写真は、戦争の実相を伝える、目をそむけたくなるようなものばかりである。ヒロシマ・ナガサキの原爆写真とともに世界で最も忌まわしい戦争写真だ。


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 写真。実際の有様の一瞬をそのまま写し出したもの。それが、あるものは戦意高揚の写真になり、またあるものは、反対に反戦気分を高揚させる。
 安易に表題を「戦争と写真」としたが、メディア論的に表現すれば、写真は静止画の一種であり、それを読む事(リテラシー)が求められている視覚メディア=映像である。
 この映像は、現在、音声メディア、映画、テレビなどがミックスされ、その記録や提供手段にもコンピューターなどが参画して目を見はるほどの変貌をとげている。

 今回からの「空席通信」では、この様に変貌した映像が、変貌以前に、つまり「一枚の写真」に過ぎなかった時代にあって、どのようなインパクトを見る者に与えたか、そのさまざまな実相を検証し、そこから、現代に通じる映像リテラシーを学ぼうとする。
 どのような結果になるか、実はわたし自身にもはっきりつかめないでいる世界にさまようわけである。一年か二年の連載を計画している。

(以下次号)

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