空席通信
2006.06.18 No.125


戦争と写真 2

 米軍が星条旗を掲揚するAP通信の写真「硫黄島の星条旗」に匹敵する日本の戦争写真はなんだろうか。
  戦況の推移とともに、その時々の何葉かの写真が目に浮かぶ。
  緒戦の段階で、全国民の戦争士気をいっきに高揚させたものは、当局が満を持して発表した6葉の報道写真「戦史に燦たり・米太平洋艦隊の撃滅」だろう。
  写真の迫力もさることながら、当局の、たくみな発表までの情報操作が、その迫力を、よりものすごいものにした。
「満を持して」と表現したが、実際は報道の遅れに、当局はとまどい、そのとまどいを、情報操作の「じらし作戦」に利用したのである。作戦は成功した!
  まず、その経緯を朝日新聞の記事で、追跡してみよう。
  日本を威嚇するため、ハワイのパールハーバーに集結した米国太平洋艦隊を、帝国海軍は奇襲攻撃した。
  朝日新聞は1941年12月9日の朝刊に、「大本営海軍部」の「8日午後8時45分」の発表として「ハワイ・比島に赫々の大戦果 米海軍に致命的大鉄槌 戦艦6隻を轟沈大破す 航母1、大巡4をも撃破 比島で敵機100を撃墜…」などと言ったニュースをにぎにぎしく掲載した。
  しかし、ニュースに関連した報道写真は「マレー半島上空を制圧するわが陸鷲」という説明が付いた陸軍の爆撃機(機種・呑龍?)が編隊を組んで飛んでいる写真と「わが海鷲の撃破した敵艦とその性能」を説明して、戦艦オクラホマ、ウエストバージニア、航空母艦エンタープライズの写真を発表した。


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 爆撃機の編隊写真は、「マレー半島上空」とある写真につけられた説明で、なるほど、と思うが、眼下に写っている地上は、少しもマレー半島らしくない。「大阪上空を編隊飛行するわが爆撃機」と説明しても通用するようなものだ。
  撃破したという敵艦の写真も、軍艦年鑑から転載したような、なんの変哲もない写真。あえて熟慮すれば爆撃機の編隊写真に「現地○○隊撮影(空輸)」とあることから、太平洋のはるかかなたのハワイからの写真は空輸にてまどるのだろうか、と思えるくらい。
  とにかく、国民の期待している写真とはほど遠いものだった。       
  同日の夕刊に「海軍省撮影」の「航空母艦から将に決死爆撃に出動せんとする海鷲勇士と西太平洋におけるわが航空母艦の勇姿」と説明のある2葉の写真が発表されたが、これも、そのような説明があるからそのように思うだけのものであった。
  当局は、この時点では、発表出来る写真がなくて困窮していたのである。おそらく、説明通りの写真ではなかったのだろう。
  12月19日、大本営海軍部は「米太平洋艦隊は全滅せり わが無敵海軍の大戦果」として戦艦5隻、巡洋艦二隻、給油船一隻を撃沈、戦艦三隻、軽巡洋艦二隻、駆逐艦二隻を大破、戦艦一隻、巡洋艦四隻を中破、敵陸海軍航空兵力に与えたる損害は敵機450機炎上、撃墜14機などと、ペンシルバニア、アリゾナほか九艦の艦影を添えて発表した。


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 しかし、ハワイに先立って奇襲敵前上陸したマレー半島方面の戦況写真や英国東洋艦隊の主力艦プリンス オブ ウェールズやレパルスの撃沈写真が発表されているのに、なぜか、実況を目の当たりに伝えてくれるはずの、その報道写真は、いまだに発表されなかった。
 発表されたのは、ごらんのようなありふれた艦影である。


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 そして新聞紙面には、写真の代わりに「わが海鷲・ハワイ奇襲の図」(村上松次郎画)や「ハワイ海戦の図」(松添健画)といった絵が掲載されて、国民の想像力をかきたてた。戦況をつたえるニュースに連載小説の挿絵のような絵を貼付した珍しい事例であった。昭和の瓦版だ。


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 ハワイ大爆撃の報道写真第一報が発表されたのは1941年12月21日の朝刊第一面であった。炎上しているヒッカム飛行場が着陸しているボーイング爆撃機の背景に見えるもの。


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「海鷲ハワイ大爆撃(第一報)燃ゆるヒッカム飛行場」とキャプション。そのキャプションの脇に、小さな文字で写真がハワイからサンフランシスコ、ニュウヨーク、ブエノスアイレス、ベルリン経由で東京に送られてきたという説明がある。
 ハワイ奇襲攻撃で日本兵やカメラマンが地上に降り立った、という事態はなかったから、どうやら、外人写真家の撮影した写真である。
 国民が固唾をのんで待っているハワイ大戦果の第一報の報道写真は日本奇襲部隊が撮影したものではなかった!
 ハワイ爆撃の報道写真は、上記の写真1葉のみで、結局、年内には発表されなかった。
 現在では確認の方法がないが、当局や新聞社へは、国民や読者からの問い合わせが殺到していたのではないだろうか。
 発表が遅れた真の原因はハワイ奇襲攻撃の日本海軍機動艦隊が、アメリカの反撃を恐れて安全海域に後退するまで、所在位置を隠す目的で、無線管理をしていたからであろう。当局は、その遅延を苦し紛れに、うまく操作したのである。
 暮れも押し迫った30日、新聞は写真のような囲み記事を掲載した。


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「大東亜戦争の戦局を一挙に決した去る8日暁暗のハワイ大奇襲作戦の実況写真が海軍省に到着し本社に提供されるので明年元旦の本紙を飾ることになった。同写真は参加した海鷲苦心の撮影によるもので、米太平洋艦隊の艦列が濛々黒煙を吐いて傾きつつある光景、また飛行場その他の軍事施設が黒煙につつまれている光景など歴史的戦況が手にとるごとく鮮明に撮影され、戦史に未だその例を見ぬ大戦果が如実に物語られている」

 大晦日の紙面には、さらに歓心をあおるような「歴史的記録映画 真珠湾・暁の奇襲」が元旦一斉に全国の映画館で公開される、と報道した。そしてこのことを一億国民への「世紀のお年玉」と呼称した。

「全世界を震撼したわが海鷲のハワイ真珠湾暁の奇襲??米国太平洋艦隊を全滅させた彼の歴史的戦勝の記録映画が来春元旦を期して全国一せいに各映画館で公開される。必死この奇襲を敢行した海鷲が激戦の最中にみづから撮影したもので上下左右に揺れる画面は海鷲当時の奮戦ぶりをしのばせて感激の涙自ずと溢れる。太平洋の激浪を乗り切る我が航空母艦の勇姿。平然と微笑を堪えて機上の人となる海鷲。さては次々と屠られる米主力艦の実況??一億国民への世紀のお年玉でなくて何であろう。」


 このハワイ空襲の特報ニュース映画の人気は大変なものだった。普通、元日の映画館は客足が悪い、といわれていた。ところが、この1942年の元日はどこも例外の記録破りであった。新宿朝日ニュース劇場、横浜朝日ニュース劇場などの、ニュース映画だけを上映する小さな劇場では観客の行列が絶えなかった。横浜朝日ニュース劇場の館主は「250人の定員に対して約2000人の観客が一回の興業に殺到し、1時間から2時間並ばなければ入場出来ない始末だった」と語っている(『映画旬報』36号)。


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