空席通信
2009.10.11 No.132


インターミッション・戦争だ戦争だ−−−−高知の文化人の足跡 1

 私は阪神タイガースのファンである。藤村富美男の物干し竿は、少年期の1ページに輝いている。ゲーム最終回にリンドバークの「every little thing…」の曲にのって登場する藤川球児。高鳴る「六甲颪」のもとに立ち上がって声援する! 魔球のストレート! 彼は高知市の出身である。
 私の母は長野県南佐久の海瀬村出身(現・佐久穂町)だが、祖父は「海瀬の濱口雄幸」と言われていたそうだ。我が家の居間に祖父の写真があり、それを眺めて育ったから覚えているが、風貌は確かに似ている。それだけで「濱口」などと言われたのではないだろうが、その経緯は忘れた。幼児期に墓参りで海瀬を訪れた時、母が、この橋はおじいちゃんが作った橋だよ、と橋の上から千曲川を見下ろしながら自慢げに話していたことを思い出す。幼心に、濱口雄幸は身内のように思えた。彼は高知県の出身だ。
 私は信州の小諸町(現・小諸市)出身。その小諸の人たちは「千曲川旅情の歌」を愛唱する。小諸城趾には23トンの巨石の詩碑まである。この作品は島崎藤村の「旅情」が本歌だ。藤村の傑作とは思えないが「小諸なる古城のほとり……」と書き出されていることが地元には人気である。作品の優劣と人気とは必ずしも一致しない。


安芸市立歴史民俗資料館の弘田龍太郎氏の展示コーナー

 これを作曲したのが弘田龍太郎(1892〜1952)。彼は安芸市の出身で、タイガースがキャンプを張るところである。土佐には、なんか不思議な因縁を感じる。

 その弘田龍太郎だが、『コンサイス日本人名事典』では、彼を「日本的な歌曲・童謡を多く残したほか、民謡収集・保育事業にも尽くした」と述べ「千曲川旅情の歌」「靴がなる」「雀の学校」「叱られて」「浜千鳥」などを代表作と紹介している。
 『人名事典』は人物について簡潔適切な知識を提供するもの。だから人物の選定や業績の記述は社会的・歴史的動向を公平に配慮したものでなければならない。これは、いろいろな人名・人物事典に共通することである。
 ところが、この「簡潔適切」がくせ者である。事典編纂者たちの意向が反映して、必ずしも適切な情報ではない。弘田には、ほかに「雨」「春よ来い」「鯉のぼり」など愛唱される歌がいっぱいある。コンサイス事典は、それらには触れていない。簡潔ということで触れなかったのだろう、と推察出来るが「雀の学校」の替わりに「鯉のぼり」でなかったのはなぜか。つまり代表作の基準が「あいまい」なのだ。
 この「あいまい」問題に、日本古来の伝統「臭いものには蓋」という文化がからんで問題は、さらに複雑になる。これが事典編纂者たちへ作用して社会的歴史的動向が隠されてしまう。そして蓋をされた事実は忘却される。忘却に知的怠慢が重なると、それは「なかったこと」になってしまう。
 簡潔・適切という言葉にだまされてはいけない。不都合な面は隠しキ合の良いことばかりを誇示する人物事典は信用出来ないのである。


西条八十の「比島血(決)戦の歌」。文献によって、血戦と決戦2通りの表現がある

 「阪神タイガースの歌」を作曲した古関裕而が「♪いざ来いニミッツ、マッカーサー 出て来りゃ地獄へ逆落とし」といった歌を作曲したことに言及している「事典」はないから、このこと、今ではあまり知られていない。作詞は西條八十で「比島血戦の歌」(日蓄・レコード番号00930A)が題名である。マッカーサーと名指しだから、戦犯として東條英機のつぎに逮捕されるのは私ではないか、と西條八十が震え上がったと東西をからめた、もっともらしい巷説まである。マッカーサーは日本占領軍(GHQ)の最高司令官となったのだから。
 この点をもうすこし、弘田龍太郎の例で考えてみよう。

(2009年8月13日から21日まで高知新聞で連載)

(→その2に続く)
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