空席通信
2009.10.11 No.132


インターミッション・戦争だ戦争だ−−−−高知の文化人の足跡 2

 「後期高齢者」と呼ばれる世代には、彼の作曲した忘れられない歌がいくつもある。。


資料(1)

資料(2)

資料(3)

資料(4)

 大政翼賛会の戦時標語「胸を張って」を国民合唱したもの。大日本産業報国会が制定した「いさをを胸に」はサトウ・ハチロー作詞、古賀政男作曲だが、これを弘田が編曲したものを「♪いろはのいの字は命のいの字 誰も忘れぬ この文字よ……」とよく歌った(資料1)。国民合唱として放送された歌では「胸を張って」のほかに「♪世界の果ての果てまでも すめらみことの大御稜威 あまねき御世といざなさん……」の「世界の果てまでも」、「♪海より昇る朝の日に 光かがよう水と空 南を指してゆく雲よ 正しき治めに蘇る 異国人に日本の 古き歴史を告げよかし……」の「雲に寄せる」、深尾須磨子作詞の「♪まっ赤に炭がおこってる 総力戦の只中だ……」の「木炭の歌」、「♪空へ空へ 一億空へ み空の戦いは すべてを決す……」の「すべてを空へ」、国民歌謡の「防人の歌」、「♪野山見よ見よ花の雲 大和心と咲きみちて……」と歌った「日本子供の歌」、ツバメを見ればメロディーが出てくる「今年の燕」(資料2)は、南の海を制覇した日本海軍の勇姿を(大東亜共栄圏の進展を)飛んできたツバメに聞いてみたい、と歌うもので、ラジオを通して弘田が歌唱指導した。「♪どんどん撃つのは何でしょう どんどん撃つのは弾丸だ 兵隊さんは戦場で 僕らは銃後でたたかいだ……」の「お国のために」、「♪にしにひがしに あじあのてきを かげものこさず ほろぼすひまで……」と歌う「職場のうた」、「♪今皇国の興廃を精鋭空に海陸に賭けて決戦死闘する……」の「技能賛歌」、日本放送協会が編纂した『放送軍歌』には「南京空爆」があり、愛国音楽連盟が発行した『新作軍歌・愛国歌集』(資料3)には「♪大空翔け行く隼は忠勇無双の戦闘機 来たれ敵機よ雲の上 望むところぞ一機うち……」の「戦闘機決戦」がある。これは詩人吉田一穂の作詞したもの。(資料4)
 どれもこれも、国民を戦争へと鼓舞した歌で「日本的な歌曲・童謡」を残したという業績では語られないものばかり。彼は戦時下に作曲した、そんな歌には一切言及しないで1952年に他界する。NHKの「紅白歌合戦」が年末でなく正月に放送されていた頃で「上海帰りのリル」「買物ブギ」などの流行歌やドラマ「君の名は」がラジオから流れていた。第4次吉田内閣が「保安隊」を創設した年でもあったが、弘田龍太郎の戦中表現活動には誰も触れなかった。
 このような業績を不問にする人物評価は、「簡潔適切」な評価と言えるのだろうか。「簡潔適切」は臭いものに蓋をすることではない。蓋をしなければその人物評価が低くなる、というのだろうか。もし、そうなら、その人物はもともと高く評価するには値しない人物である。背景に雪の山並みが連なる美しい風景の西部劇「シェーン」には、その風景の中を走る自動車が写っている。それでも「シェーン」は世部劇の名画である。
 戦争が始まった時も終わった時も太鼓を叩いた者が、名鼓手といわれ世に貢献したと勲章まで授与される文化。これはどう考えてもおかしい。そういうことにぼつぼつ気付いても良いだろう。
 悲惨な戦争を体験した世代が少なくなり、日本の戦争時代が語られる機会も年々少なくなってきた。過去の事実を知り、歴史に学ぶことは、自分を歴史につなげることである。「若い世代が戦争や歴史に向き合うためには大きな歴史の流れのなかに自分自身が存在するのだと気づくことが必要である。歴史を自分につなげよう」とは、『あの戦争から遠く離れて』(城戸久枝 情報センター出版局)を上梓した中国残留孤児二世の言葉だ。日本人が久しく忘れている言葉である。

(2009年8月13日から21日まで高知新聞で連載)

(→その3に続く)
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