空席通信
2009.10.11 No.132


インターミッション・戦争だ戦争だ−−−−高知の文化人の足跡 5




横山隆一氏が雑誌『漫画』に描いた3点の作品

日劇ビル壁面に掲示された朝日新聞社の100畳敷大写真(1943年、東京・有楽町)

 『漫画』は1940年10月「新しい国民雑誌 新日本漫画家協会機関誌 新体制号」として創刊された。この創刊号の表紙は近藤日出造氏が描いている。日独伊三国同盟を記念してか、松岡洋右、リッペントロップ、チアノの三国外相が乾杯している図柄だ。
 『漫画』は1941年7月号から、表紙には「新日本漫画家協会機関誌」の文字に替わって「大政翼賛会宣伝部推薦」の10文字を印刷した。この時から機関誌の性格は薄れ、近藤日出造氏個人の編集による商業雑誌となった。毎号の表紙を近藤氏が描き、隆一氏や杉浦幸雄氏等が応援した。隆一氏の妹が近藤氏と結婚していたから、当然の応援だろう。ここに発表された隆一氏の作品群だけで、「まんが館」の一角を占領するだろう。ところが「科学戦士……」だけというのは貧しすぎる。
 大政翼賛会は近衛文麿が設立した全体主義的国民組織だが、その宣伝部には「暮らしの手帖」で戦後活躍する花森安治氏がいた。『漫画』は、そこの推薦雑誌だから政府推薦雑誌に等しいステータスである。
 『漫画』の呼び物は、近藤、横山、杉浦氏たちが時の人をゲストにした座談会と見開き紙面に大きく掲載されるカラーのマンガであった。読者投稿欄も充実していた。谷内六郎、加藤芳郎氏らはここから巣立っている。座談会の時の人は、チャーチルやルーズベルトなどの人物の時もあった。架空座談会である。敗軍の将として愚痴話を語らせるのであるが、これが評判だった。
 1943年、政府は国民の戦意高揚のために決戦標語「撃ちてし止まむ」を掲げて全国的な国民運動を展開した。戦時期の日本は、ロシアとの戦争で大勝利した3月10日を「陸軍記念日」として祝日と定めていたが、この日を中心に「撃ちてし止まむ」のキャンぺーンは最高潮に達した。新聞は連日特集を組み、朝日新聞社は100畳敷大写真と称したポスターを東京有楽町の日劇ビル壁面と大阪難波の高島屋の正面に掲示した。


(2009年8月13日から21日まで高知新聞で連載)

(→その6に続く)
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