連載ミステリー 「八月のカラス」
第7回



「松島一人です」
「これはどうも。阿修羅さんからかねがねお噂を聞いていますが……。で、青山さんについて何か?」
「ええ、彼にお願いしている資料があるんですが、連絡がなく、で、今朝、新聞を見まして、びっくりしたんですわ。彼が消息不明とか」
「そうなんですよ。新聞には一週間になる、とありますが、実際はもう10日も所在がわからないんです」
 高山は一瞬迷ったが、話すことにした。
「おたくが持ち込んだ村田三鬼の蔵書のことなんですが、その中の一点を入手出来そうだということで、心待ちしていたんです……」
「うけたまわっています。『日章旗』でしょう」
「そうなんです。あまり期待されても困る、ということでしたが、その後、全く連絡がないものですから、どうされたかな、ぼちぼち連絡しようかと思っていたところだったんです。そこへ、この記事ですから、直接お電話したようなわけでして」
「うーん」菊池は手にしていたタバコを灰皿にこすりつけて消しながら「変な話なんですよ。先生は青山氏のことで何か聞いていませんか」
「何かって、別に思い当たりませんが」
 何も聞いていないから、こうして電話しているのに、妙なことを逆に尋ねるものだ、と思いながら松島は、青山の風貌を思い浮かべた。
 雲が出てきたのか日差しがときどき陰り、ガラス窓がガタガタ音をたてている。風が強くなったようだ。
「奥さんをなくしてから、ずーっと落ち込んではいたんですが……」
「奥さん? 彼、独身じゃなかったんですか」
「あ、いや、正式な奥さんではありませんが、ずーっと一緒だった人がいたんです。同業者は奥さんといってまして」
「ほう、初めて聞きましたね。その女性が亡くなって、青山氏は変わったのですか」
「そりゃもう、落ち込んだなんてもんじゃないです。業界仲間では、彼も後を追うのではないかと、彼の身辺を心配する者までいたんです」
「ふん……」
「大学堂、ご存じでしょうが、これ名古屋の古書店ですが、そこで働いていた頃からの知り合いの女性なんですよ」
 菊池は、その女性と青山とのことを延々と話しはじめた。

 話が妙なほうに行って長話になったが、高山は、聞き流していた。そして一段落したのをしおに、電話を切った。
 別れ際に、菊池の「なにか分かったら連絡します」という言葉が妙に心に残ったが、すぐに忘れた。しかし、すぼめたままの口はしばらくはもとに戻らなかった。

4

 すま子叔母からの電話をきり、受話器を置くと、すぐまた呼び出し音が鳴った。柴崎の自宅の電話は、ベルの音でなく「タイスの瞑想」のメロディーにしてある。職業柄、ベルにはうんざりでしょう、いやしの音にしておいてあげるわ、と中1(中学一年)の池上の姪がセットしたままになっているのである。バイオリンの曲として聞き慣れたメロディーを電子音で聞くのに、最初は違和感があったが、なれてくるとまんざら悪くない。家内などはすっかり気に入っていた。
 電話は経済書を出版している更津館書房の社長池田光彦からであった。
 三代目の社長で、柴崎とは大学で一緒だった。二人の兄がビルマとサイパンで戦死し、三男の彼がレコード会社を退職して家業の出版事業を継ぐことになったが、当時は、同期生仲間から、「まさに三代将軍家光だな」などと冷やかされていたのを柴崎は思いだした。出版業の傍ら、歌謡曲の作詞をしていて、レコード大賞を受賞した「クロッカスの思い出」の作詞者としても有名であった。更津館書房の創始者の池田早苗は千葉県木更津町(現・市)の出身で、29歳の時に神田小川町の二間長屋で更津館書房を創立した。『大漢和辞典』の出版社・大修館書店の社長鈴木一平(1887?1971)と小学校が同じで、「鈴木先輩は50銭銀貨一枚で上京し、苦労したあげくに、31歳で大修館書店を創立したが、わしはたったの30銭の銅貨で二歳も早く更津館書房を創立した」と自慢話が有名であった。
 挨拶のやりとりの後、
「たしか安仲謙は、君の親戚だったよな」という。
「ああ、亡くなったがね」

つづく

 <著者より>
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