連載ミステリー 「八月のカラス」
第8回



「そのおじさんの有名なレコードコレクション、なんていわれていたか……えーちょっと思い出せないが」
 将軍も老いたのかな。しかも、お悔やみの言葉もなくいきなり用件だけか、三代将軍らしいな。何年たっても、ちっとも変わっていない。よく社長がつとまるよ……。そんなことを思いながら、柴崎はぶっきらぼうに答えた。
「安仲コレクション」
「そうそう、それ。処分したの?」
「処分?」
「売り出したのかね」
「その線で話が進行しているが、最終的には、まだ決まっていない」
「それじゃあ、やっぱり、ガセネタかな、そのコレクションの一部を入手したという人物が買い手をさがしていると連絡してきてね……」
「安仲コレクションの一部を?」
「そういってるんだよ。貴重なもの、おそらく金になるものだけ処分したんだと……残された遺族がよくやる手口だろう?」
「いや、それはないね。断定できないが、ないと思うよ」
 柴崎は、おじのコレクションの処分について相談を受けた経緯を話した。

「社長、東販の小宮山さんから」という女性の声が聞こえ、「ちょっと、待って」と話が中断した。
 佳境にはいるところでコマシャールか。
 三郷の倉庫から明日の午後には配送されるから、それを回せばいいだろう、といった将軍の声が聞こえる。出版物の配送の用事らしい。それに対して女性の声が、運送会社の配車が5時まで動けないのですって、といっている。そして何も聞こえなくなった。切ったのかと思っていたら、受話器から、いまようの音楽が流れてきた。膝に穴があいているGパンをはいた茶髪の青年グループの歌である。最近よく聞く。珍妙なうなり声がはいる歌だ。確か将軍の作詞である。題名を思い出そうと、しばらく聞き入っていたら、突然切れて、
「すまん。用事が出来た、また後で電話する。この話の出所は、例の、碑文谷の二版親爺だから、いい加減な話ではないような気もするが、かけなおすわ、悪いね」と将軍。
 そして、その日、彼からの電話はなかった。その日だけではなかった。三日後に将軍は、乗っていたタクシーが突然の夕立でスリップした大型の貨物運搬車に衝突する事故にまきこまれ、タクシーの運転手とともに他界してしまった。
 ぐしゃりとつぶれたタクシー。車外に放り出されて路上に倒れている将軍と散乱している手荷物。「ニッチク」と今時めずらしい赤いレーベルのSPレコードが割れていた。駆けつけた若い警官は、その破片を靴先で道路のはしにかき集めた。レーベルには「国民合唱 読売新聞社 日本放送協会制定 比島決戦の歌 西條八十作詞 古関裕而作曲 酒井弘 朝倉春子 日蓄合唱団 日蓄管絃楽団」と印刷してあった。
 集まってきた野次馬に踏まれて、そのSPレコードは、さらに細かく砕かれた。
 激しかった夕立は、やむのも早く、夕焼けが野次馬たちの頭を染めていた。

 碑文谷の二版親爺、というのは、伊藤左千夫の二版『野菊の墓』を見つけて、世間の話題になったG大学教授の岡本昌弘のこと。彼は与謝野晶子の『みだれ髪』二版も所持していて、二版書の蒐集家として古書界では、その名を知らない者などいない存在だった。古書に関した著書も何冊かあり、なかでも『再版探書』は戦中に初版が上梓され、再版は戦後になってから、といった本を片端から蒐集して、装幀違いから本文の書き換えまでを詳述した内容で「初版をありがたがる風潮はおかしい。再販本のほうが遥かに貴重である」と主張する彼の評価を定着させた。
 雑誌などにも、ときどき古書にまつわるエッセイを発表しているから、いわゆる古書蒐集家と単純にはくくれない人物でもあった。新聞紙面では、彼を作家と紹介している。新聞や雑誌で紹介する肩書きは、マスコミが安易につけるものだから気にすることもないが。ところで、どちらの二版本も、幻の本と言われていた古書である。古書界に現れたことがなく、元々存在しないのではないか、ともいわれていた。

5


 サレジオ教会の鐘が鳴りやみ、しばらくすると円融寺の梵鐘が鳴り出した。
 碑文谷は目黒区の住宅街だが、西洋の宗教と東洋の宗教が目と鼻の先に並んでいる面白い地区である。細かいことを言えば、サレジオ教会のそばには碑文谷八幡宮があり、天理教の教会もある。
 小山誠一は碑文谷の隣の南一丁目に生まれ、そこで成人した。両親の没後、一人暮らしには広すぎる家屋敷を売り払って、すぐそばの碑文谷岡本マンションに転居した。大学を卒業して二年目のことだった。就職した会社が倒産して、無職の身であったが、相続税を納めても、かなりの金額が手元に残ったから、無収入の身になってもそれほど困窮しなかった。所帯をもつ気持ちもなく気楽に暮らし、浪人生活を機縁に中学生の時からはじめていた古書蒐集に本格的に取り組んだ。
 碑文谷岡本マンションは地下一階地上六階の分譲マンションで、ここを彼が選んだのは、これまで住んでいた南の隣地であることが大きな理由だが、もう一つ、ここの最上階に二版親爺といわれているあこがれの岡本昌弘が住んでいるからである。地下一階に駐車場があり、一階は全フロアーが岡本コレクションの書庫で占められていた。彼は、このマンションのオーナーであった。
 岡本家の祖先は徳川幕府の旗本だと言われている。ある時、鷹狩りにでた将軍に気に入られ、鷹番近辺の広大な地所を下付され、目黒地区の大地主になった。何が将軍の意にかなったのか。諸説あって、真偽のほどは不明だが、彼が献上した鷹が優秀な働きをしたらしい。承応の頃のこと、といわれているから、四代将軍家綱の時代だろうか。祖先が旗本というのは事実でなく、名主であったようだ。しかし、徳川時代からの大地主であったことは間違いない。
 碑文谷岡本マンションは、岡本家の屋敷を解体した跡地に建てられた最高級分譲マンション。住人は有名人が多く、農林大臣が住んでいた時は、門の脇に交番が設置された。玄関までのアプローチには、元禄時代のものと言われている3メートルほどの雪見灯籠があり、脇には天然記念物に指定されたサルスベリの老木がそびえている。
 小山誠一は、ここの4階の西角303号に住んだ。四階なのに三百台の数字が使用されているのは、1階がオーナーの書庫で占められており、二階を一階と呼んでいるからであった。
 ある時、それは神田で開催されている古書展へ行った日だったが、購入してきた古書を抱えてエレベーターに乗ったところ、あこがれの岡本氏が同乗してきた。
 その日は古書会館で「趣味展」が開催されていた。収穫があって、7冊ほどの古書を購入してきたが、中に金子光晴訳の『エムデンの最期の日』があった。反戦詩人などと言われている詩人が軍人の書いた戦記物を翻訳書しているのである。その取り合わせが面白いので以前から探していた本だ。1941年の7月に刊行されている。それが300円均一の棚にあったのだ! 
 岡本氏は小山が抱えていた古書に目をやり、
「ここにお住まいの方ですか」と小山にたずねた。
「はい。303号の小山と申します。岡本さんですね」
「はい、岡本です。珍しい本をお持ちですね」
「これですか」小山は抱えている本に目を落として「今日、趣味展でみつけてきました」
「そうか、今日は金曜日でしたな。ちょっと拝見」
 岡本氏が手に取ったのは高山慶太郎の『南洋の林業』(1942年)である。
裏表紙のすみにシミがある。あまりきれいな本ではないが、2000円した。
秋山清が、名前を変えて出版した本で、ほかに『チークの話』(1943年)、『日本の木南の木』(1944年)などが高山名義で上梓されている。出品した古書店は、そのあたりのことを承知していないようで、もっと高くても小山は購入しただろう。再版ものだ。
「秋山清がねえ……、これ、2版ですか、確か箱入れのはずですよ。その初版の美本を持ってます、よろしかったら交換しませんか」
 思いがけない話である。小山は小躍りして
「岡本さんがおっしゃるなら、いいですよ。よろこんで交換します」と答えた。
「そうですか。よろしいですか。じゃあ、これ、ちょっと片付けてきますから、1階のフロアでお待ち下さい」
 岡本は手にしているビニール袋をかざしながらいった。食料品の買い物らしい。
「わかりました。私もこれ、部屋においてきますから、じゃあ、10分後でどうですか」
「そうですね。20分後にしましょう。あ、それはそのときお持ち下さい」
 岡本は小山が差し出した本を受け取らずに言った。


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