連載ミステリー 「八月のカラス」
第9回



 碑文谷・岡本マンションの地下1階と地上の1階は、岡本氏の書庫で占められている。地下二階は車庫で住人たちの乗用車が並んでいる。ほとんどが外車だ。小山は車を持っていないが、友人が車で訪ねてきたとき、臨時に、空いているスペースに駐車させてもらい、そのとき初めて車庫へ行ったが、フェーラーリーが2台も駐車していてびっくりした。目の前で実物を見たのは初めてだったから。
 岡本氏の書庫へは1階フロアーにある大きな欅のドアから入るか、最上階の岡本氏のフロアーにある専用エレベーターから入る。しかし欅のドアには取手らしきものも呼び出しのブザーもない。内部からしか開閉できないようになっているから、ドアが開かれない限り入れない。
 マンションの住人専用のエントランスは二階である。三重ガラスのドアは右側にある真鍮製のボタンを押すと、頭上に取り付けられている自動識別カメラで居住者であることが確認され、ゆっくり開く。
 来訪者はボタンと併設されているインターホンで来訪の旨を伝えると関係する居住者に繋がり、居住者が承認するとドアが開閉する、というセキュリティー。

 小山は約束の時間より3分ほど早く1階フロアーに行き、ドアの前にある椅子にかけて岡本氏を待った。ドアの左側に大きなピクチャーウインドーがありサルスベリの老木と雪見灯籠を配した庭園が見える。庭園には茶室があって、年に何回か茶会が催されていたが、小山は庭園に入ったことはなかった。
 欅のドアが開いて高橋守男が現れた。キャメルのカシミヤセーターを着ている。マフラーをまいた首を後ろに向かって曲げ「しかし、その頃の彼のものには、これといったものがないよ」と話している。それから椅子にかけている小山を認めて、おやっといった表情をしながら「これはお久しぶり。僕に用事?」といった。彼は碑文谷二丁目の城門のような門構えの屋敷に住んでいる仏文学者。思い上がったいわゆる文化人たちのどうしようもない尊大さとは無縁な人物である。文句なしの碩学者だがいつも屈託無く微笑み誰とも対等に話し合う。小山は大学生の時、彼のサルトル講義を受講していた。だから教授と学生の関係だが、小山が古書の蒐集家であることを知っていて、何回か資料で協力したことがあった。
「ご無沙汰しています。岡本さんに会うんです」
「あ、そう。まだ見えていないぞ」
「ちょっと約束の時間より早いですから……」
 高橋につづいて、黒いスラックスにエンジ系のテーラードジャケットを着た女性が現れた。これは驚き。高校まで同級生だった大槻恵美子だ。司書として近代文学館に勤務している、と聞いていたが、10年近く会っていない。小山を見て微笑みながら軽く会釈したが、声をかけてこなかった。
「そうだ、見つかったかね」と高橋が小山に言った。
「なかなか出てきませんよ」
「やはりまぼろしか。『國民六年生』に金子の「手紙」という詩が掲載されていて、執筆者紹介に、近代的詩人としてすでに盛名があり、詩集には「こがね蟲」「神風」などたくさんあります、とかあった筆者紹介記事を見たよ」
「国民六年…、小学館のですか」
「そう」
「何年の何月号ですか」
「それがね、おぼえていない。国民学校だから41年4月号以後であることは間違いない。家にあるから、こんど、お見せするよ」
 小山は金子光晴自身が上梓したと言明している詩集『神風』をずっと探しているのだが、これまで古書界に登場したことがない。いわゆる、「まぼろし」の詩集である。抵抗詩人と金子光晴を評価している一部の人の中には、そんな詩集は存在しない、金子一流のギャグだよ、と主張しているものもいた。ギャグとは好意的な表現だ。嘘だとしたら履歴詐称に準じる言動だと小山は思っていた。題名が神風だから関心があった。
「じゃあ、失敬」と右手をあげ、大槻に向かいながら「やはり、彼の絵は40代になってからだね。色彩が躍動している」
「そうですね」
 大槻は、そういいながら、もう一度、小山に軽く会釈して出口に向かった。右足をひきずっている。欅のドアは閉まっていた。


 交換してきた本のページをパラパラとめくっていた小山は、すぐに本を綴じて、机上に置いた。心ここにあらず、といった風情だ。大きな喪失を体験した人たちが浮かべる表情である。首筋をなでている。
 それから、彼は机の引き出しを開け、中から古いノートを取り出した。
 そして挿んであった写真を見た。目黒高校時代の小山と女子高生が並んで写っている。小山は唇をきちんと結んで緊張しているが、女子高生の方はニコニコ笑っている。生徒会長になった時の写真で大槻恵美子が副会長だった。二人は高校を卒業してからそれぞれ違う大学に進学し、疎遠になった。初恋の終幕だった。そして、空梅雨が終わって猛暑がやってきた年の秋、彼女が同じ大学の学生とサンシャインと呼ばれている校舎の屋上から飛び降り心中して彼女だけ生き残った、という噂話を聞いた。その噂は事実で、新聞の地方版に小さく彼女の記事が載っていた。高校卒業と同時に彼女の家は転居して連絡は取れなかった。今日の岡本氏の話では、彼女、大学中退の後、近代文学舘に勤めながら、岡本氏の蔵書管理を手伝っているのだそうだ。文学舘は非常勤なんだろう。
 事件と時間は残酷だった。容赦なく彼女のかつての輝きと美貌を犯していた。過ぎ去ることは汚れることなのだろうか。ゴミが生活の証であるように。

 充電器に挿してあった携帯電話が鳴った。携帯にかかってくる電話は知人のみである。小山は、壁の時計をにらみ午後6時5分前であることを確認してから応答した。誰だろう。どうせ、一杯付き合えという誘いだろうが……。
「はい、小山ですが」
「ああ、柴崎です。今、いい?」
 A新聞社の柴崎武史からの電話だった。
 彼がヨーロッパから帰国して間もなく、独文学者高橋健二のことで問い合わせがあり、その要請にこたえたことから付き合いが始まった。日本を初空襲したアメリカの兵士の捕虜の取り扱いをめぐって、いろいろ論議された際に、国民よ怒れ、と捕虜の死刑を主張した高橋健二の資料について協力したのである。財団法人社会教育協会が発行していた月刊誌『青年講座』に掲載されていた文である。同書は青年学校の副読本として利用されたようだが、毎号40ページほどの小さな体裁だから残っているものが少なく珍本の部類に入る雑誌だろう。創刊は1937年4月で、当初は『民衆文庫』という題名だった。
 小山は日本本土が初空襲を受けた際に(1942)銃弾に倒れた少年について、新潮社の書評本のコラムに、短い文を書いたのだが、それが柴崎の目に留まって、問い合わせが新潮社経由で来たのであった。
「だいじょうぶですよ。なんですか」
「阿修羅古書店のことは知ってるでしょうか」
「亡くなった青山さんの店でしょう。もちろん知ってますよ」
「それなら話は早い。青山晋太郎の、これまで知られていない書庫がみつかったんだってね」
「えっ。それは知りません……」
「そうか、君が知らないのなら、このニュース、まだ古書界には知れていないホヤホヤだな。三郷にあるんだって」
「みさと? 」
「そう、葛飾区だっけ、たしか柴又の北だよ」
「ああ三郷。埼玉県ですよ。葛飾区の水元公園に隣接している……」
「今、聞いたばかりで地図も見てないが、埼玉県か。賃貸料が滞納されていて倉庫の持ち主から督促があり、それで所在がわかったらしい。僕も社会部の記者からちょっと聞いただけで、まだ詳しいことは聞いてないんだが、君なら関心があるだろうと思ってね。保管されている本を処分していいものか、警察に問い合わせがあって、それをうちの記者が聞きかじったらしいんだが、古書店の書庫なら興味あるでしょう?」


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