連載ミステリー 「八月のカラス」
第10回



「仕入れの状態は見せたくないとか、いろんな理由があるからでしょう。公開する古書店のことはあまり聞きませんね。企業秘密ですか」
「そうでしょう。私も倉庫を公開する古書店の話は聞いたおぼえがない。でね、これには続報があって、今日うちの記者が、現地へ行ったんですよ。間もなく連絡があると思いますが...その倉庫の、問い合わせてきた持ち主が死んじゃったの。三日前の夜。一応、倉庫の鍵を交換しておこう、といって出かけたまま夜の10時になっても帰宅しないので、息子が様子を見に行ったら、倒れていて、殺害されたようなの。あ、ちょっと待って、メールが入った」
 柴崎の背後で着信音らしいものが聞こえた。そしてキイボードを操作しているような音......。
「失礼失礼、今現場の写真がとどきましたよ。現場といっても倒れていた部屋にはまだ立ち入り出来ませんが、書庫の様子を写したものがね。かなりの本だわ。めちゃくちゃだね。なんか物色された後みたい。今、お宅でしょう。写真送るから見てください。そのほうが早い。実はね、これは内部情報ですが、被害者の傍らに「カミカゼ」とカタカナで書いてある空っぽのボックスファイルが落ちていたのです。阿修羅は近代文学と詩書の専門店でしょう? そんな書店の倉庫、カミカゼと書いてあるボックスファイル、どうですか、君に電話した意味がわかるでしょう?」
「好奇心をくすぐられますね。ボックスファイルですか。普通、本は入れませんよ」
「それが、写真を見ればわかるが、僕のベルリン本ね、あのくらいのものなら5冊は入るものだよ」
 柴崎のいうベルリン本とは、彼の著書『憂愁のわがベルリン』で菊判・260頁ある。上質紙を使用しているから厚さは2センチほどだ。それが5冊だというからファイルは12〜3センチの厚さだろう。とっさに、そんなことを計算していると柴崎がさらに付け加えた。
「ほかにも同じようなボックスファイルがいくつもあってね、本が入っているんだが、どうやら商品価値のあるものを入れていたようだね」
「そうですか」
「写真にも写っているが、村野四郎とあるファイル。体操詩集が二冊と罠という詩集が見える」
 どちらも村野四郎の詩集で『体操詩集』は復刻版があるが、元本なら1939年に刊行された限定500部だから稀覯本だろう。『罠』は村野四郎の処女詩集だ。1926年の刊行で300部限定だった。これも稀覯本。『体操詩集』のほうは二冊もあるというから、たぶん復刻ものだろうか。
 柴崎の用件は、希望するなら、臨時嘱託にするから明日の現場まわりに同行してみるかね、といったことだった。ただし、ひとつだけ条件がある、来月大阪の梅田の古書展に出品される「萬國新聞」と一茶の句集についての探訪記を文化欄に書くこと。 
 願ってもない好意である。
 即座に決め、翌朝、千代田線の金町駅で会う約束をした。
「萬國新聞」は何種類かあるが、大阪に出品されるものは英人ブラックが無届で発行した夕刊で1876年1月の第一号。物議をかもした新聞。その真贋についていろいろいわれているもの。本物ならいくらになるか想像もつかない。
 一茶の句集は1852年3月に出版された和本の『おらが春』だ。これも高額だろう。どちらも大阪の老舗豐島屋書店の出品である。さすがは新聞記者、柴崎は小山が豐島屋書店主と親しいことを承知しているのだ。
 その夜、小山は届いたメールに添付してあった6葉の写真を開いて見た。中の一枚は、三重県、山口県などと県名を書いたボックスファイルが並んでいる書棚を写したもので、古地図らしきものがぎっしり入っている。青山の専門は近文と詩書だが、地図は自分の趣味で蒐集していたのだろうか。伊能忠敬のファイルもある。明日は、座り込みだな、と小山は興奮した。窓から下を見ると、花の終わった桜並木の新緑を絨毯のように敷き詰めて大きな紫モクレンの花が街灯を浴びて背伸びしていた。

「ウェストは矢張りボタン留めでないほうがいいわね。腰のあたりがすかすかして落ち着かないわ。矢張り着物が一番」
 コートドレスの様なネイビーカラーのワンピースを着た与謝野晶子がいった。テーラー衿の間から瑪瑙のペンダントがのぞいている。彼女が手にしているのは堀口大学の詩集『砂の枕』。第一書房が出版した20部の限定本である。
「わたし、瑪瑙のまだら模様を思い出したわ」と大槻。
「お名前はいいのね」といいながら、その本の扉にさらさらと署名して返してよこした。いつの間にか与謝野晶子は篠田節子になっていて、彼女は文庫本の『アクアリウム』にサインした。ところが、渡された本には遠藤周作とサインがある。本は『わたしが棄てた女』。 
 冗談が過ぎると大声を上げた。声が喉に絡まって思うように出ない。ベルの音に気づいた。見回した。枕元の携帯電話が緑色の光を発しながら執拗に鳴っている。ため息をもらした。

「起こしちゃったかな。火事だよ、火事」
 伝える内容とは裏腹に落ちついた声が受話器をとおしてもれてくる。
「ああ、芝崎さん、何ですか、火事ですって」
 時刻は午前5時17分。まだ外は薄暗い。どこにも火は見えない。
「倉庫が燃えちゃったんだよ。全焼らしい」
「三郷の倉庫が?」すっかり目が覚めた。
「そう。放火らしい。これから、行ってみるがどうしますか。同行するなら車だから、お宅に寄るよ。そうだね、20分くらいかな」
 今日は一日座り込みの予定だったから別に用事はない。もう眠れないだろう。全焼といっても、本はそう簡単には灰にならない。小山は友人の家がもらい火で全焼した時、見舞いに行って、焼け跡に百科事典の燃え残りがうずたかく山になっていたことを思い出していた。友人が自慢していた百科事典は周りが黒く焦げた状態で濡れていたが、百科事典であることは識別できた。
「つれていってください」パジャマを脱ぎながら小山は答えた。


戻る

本サイト内の文章の著作権は櫻本富雄に帰属します。
文章・図版の無断使用を禁じます。
Copyright(C) 2002 Tomio Sakuramoto All rights Reserved.