学生諸君へ
第6回 表現責任と少国民の怨念

 一九八二年一月、「核戦争の危機を訴える文学者の声明」(以下では「声明」と略記)が発表された。
 世界の人たちへ、核兵器の廃絶・軍拡競争の中止を訴え、日本政府に非核三原則の厳守を要求した日本の一部の文学者たちの「声明」は、周知のように、いろいろなグループを、これに呼応させる動因となった。(当時の新聞を参照すること)
 核戦争を否定し、平和を願うことに反対する人は、この世界に一人もいない。日本でも、戦争を知らない世代が、国民の半数以上をしめ、さらに「戦争を教わらない世代」が出現してきている状況の中にあつても、平和を願わない世代は、いないだろう。
 しかし、私は「声明」に名を連ねた文学者たちに、割り切れない感じをいだかずにはいられない。そんな折りに、四〇年ほど前の私の作文が、出現した。つぎに引用する。

 元帥悼んで
 五月二十二日の朝礼の時、小林先生から連合艦隊司令長官山本五十六大将が戦死されたということをお聞きしました。僕はびつくりしました。大将は飛行機の中で戦死されたのです。その時、僕はいつか新開の写真で見た双眼鏡を持って軍艦に乗っていられた勇ましい大将のお姿を思い出しました。
 あんな立派な勇ましい大将が戦死されたのです。僕が大きくて戦地にいたとすればすぐに飛行機で飛んで行って、憎い憎い敵をうんとこらしめてやりたいほどでした。
 日本のお国のために、僕たちのために、戦場で、あんな立派な大将がなくなられた事は本当に悲しい事です。ありがたい事です。僕はその時、もつともっとしっかり勉強して大将のような立派な人にならなければだめだと思いました。
 家へかえって新聞を見ますと大将の立っておられる写真が出ておりました。
 大将は元帥になられたのです。兄さんはそれを見て「偉いな偉いな」と何度もいいました。その写真は本当に立派でした。僕は涙が出てきました。その時もまた米英が憎らしくて憎らしくてたまらなくなりました。
「生意気な米英め、今に見ていろ」と心の中で何度も叫びました。
 お父さんも「こんな立派な大将が戦死されて本当に悲しい。お前たちはいよいよもっとしっかり勉強しなくてはたいしように申し訳がないぞ」とおっしゃいました。兄さんも僕も「本当にそうだ」と心から思いました。
 山本元帥は小きい時からお父きんやお母さんに少しもお世話をやかせずに一心に勉強し、自分のお部屋は自分できちんと片づけたりなさったそうです、とお母さんもいわれました。
 僕たちは立派な山本元帥をお手本にして先生がたのお数えやお父さんお母さんの言葉をよく守り一生懸命勉強し身体を丈夫にし心を正しく強くして天皇陛下の御為立派な日本人になりましよう。
       (一九四三年六月八日「朝日新開」長野版)


 これについて、たかだか十歳の「少国民」にすぎなかつた、などと言いわけをするつもりはない。書いてしまった (表現)責任を、どうするか。日夜、そのことを自身に詰問しながら、私はいろいろな人たちの戦中言動を調べ、表現責任を考えてきた。
 多くの文学者は、アジア・太平洋戦争を鬼畜米英を大東亜から追放する聖戦である、と表現した。(21世紀の現在でも、そのように考えている人たちがいる!!)
 国民は、その表現を信じ、あるいはその表現に同一性を見いだして、戦争遂行エネルギーに収束した。緒戦の戦果が、そのエネルギーを増幅した。
 ところが、戦いに敗れると、戦争指導者は一億総ザンゲのもとに、自己の責任をアイマイにし、文学者もまた、それにならった。加害者の座は犠牲者の座に、すりかえられた。それのみか、国民は自力で戦争章任を追求する行動を放棄し、戦争指導者の国民への加害行為を、忘却した。
 そうして戦争推進に参画した指導者は、政治の中枢に、すんなりと復帰し、御用文学者は、あいかわらず文学者であり得たのである。
「侵略」を「進出」とする教科書検定や戦時下の文章(表現)を収録していない○○全集。いずれも歴史の中の戦中を、空白化している事例であろう。
「声明」の署名者たちを見て、私が複雑な気持ちをいだくのは、以上のような戦後状況をつぶさに見開して生きてきたからである。
 署名者の一人である作家は、戦時中「今日よりはかへりみなくて大君のしこの御楯と出でたつわれは」と勇躍、軍の報道員の任についた。彼は「戦争に苦しみと悲しみがつく」のは当然だとし「戦ひの中に決然として生きていく日本人の真の姿」をのべる自分の小説を、「少国民」は米英に絶対勝ち抜く決意で、読んでほしい、と絶叫する。
 そして彼は、「諸君とともに自分も戦ふ」つもりで小説を書き進めるから、と約束した。
 その約束は、敗戦の混乱にまぎれたまま、破られている。
 同じようなことを約束した文学者が、ほかにもたくさん署名している。文学者の良心は、自己の表現に責任をとることではないだろうか。
 かつての自分の戦争翼賛文章を著作目録から隠し、口をぬぐつている日本の文学者に、説得力のある訴えが、つまり世界の人を共感させる声明が、出来るのだろうか。
 生きて一九四五年八月一五日を迎えた日本人は、戦争に加担した罪責から逃亡出来ないことを、自覚していなければならない。加担した理由として、がんじがらめの統制的社会状況をあげ、「仕方ない」といっても、しよせん逃げ口上である。
 日本人の戦後思想は、自力で戦争責任を追求することを欠落した状況の中から出発している。戦争責任の追求という自覚を思想の根底としないかぎり、「された」ことばかりが残り、「した」ことは隠されてしまう現状がつづくだろう。
 もと日本兵士の台湾人補償問題、中国残留孤児問題、韓国人強制連行問題……。それらを無責任に放置して、経済大国に復興したなどと、平気で放言する政治家。
 私が戦時下の表現責任に、こだわりつづけるのは、無責任民族の改革の前提として、せめて文学者だけでも自らの言動に責任のとれる倫理を確立しよう、と願望するからである。
 私の愛国作文は、生涯引きずりまわして投石してもらわなければならない。
 「少国民」の怨念である。
     (初稿・一九八二年七月二〇日・「朝日新開」)

 昨年末、風邪をひいてベッドでごろごろしている時に読んだ『敗北を抱きしめて』(ジョン・ダワー著)の文中に「その人の名において20年にわたり帝国日本の外交・軍事政策が行われてきた、まさにその人物が、あの戦争の開始や遂行に責任を問われないとしたら、普通の人々について戦争責任をうんぬんしたり、普通の人間が自分自身の戦争責任を真剣に考えるべきだなどと、誰が思うであろうか」とあった。
 戦争責任問題なんて、この日本国では冗談になってしまった、というわけである。
 「声明」の発起人の中野孝次が私のことを「パリサイ人」と馬鹿にするのも当然のことなんだ。だから私も,清貧なんて詐欺だ、と当然に馬鹿にしている。
 そんなキテレツな感想を抱きながら、ここに紹介した旧文を思い出した。『表現』は責任など問題にならないほど軽いものだろうか。
 今年は四月から「視聴覚特論」を木曜日に開講する。いずれ教室(C402)で逢いましょう。
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