学生諸君へ
第11回 少国民の殉職をめぐって

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 奇襲攻撃を断念して、白昼の空襲を強行した爆撃隊は、この手記からも推察できるように、完全に日本側の虚をついた。
 東京都に、空襲警報のサイレンが鳴り響いたのは、第一弾が投下されてから十四分後であり、前記の旭市では、敵機発見後二十分してからであった、というから、やはり初空襲は、奇襲に成功したのである。
 あいつぐ戦勝報告が、人々の心に、「まさか空襲などが……」と油断していたのかもしれない。軍部は皇国=神国の上空に敵機の侵入など有ろう筈がないと高言していた。
 かてて加えて、防空組織の機構は縦割りで横の連絡網がなく、欠陥があった。
 第23日東丸の犠牲は、まったく生かされなかった。その場しのぎのいい加減な対応で処理されてしまったのである。

 この初空襲の被害は、つぎのように記録されている。
(死者 四十五名 負傷者 約四〇〇名 全焼家屋 一六○戸 半焼家屋 一
 二九戸 攻撃を受けた箇所 数十箇所)         (防衛庁戦史室)

 だが当時は、この被害を極秘事項として隠蔽、ほとんど発表されなかった。発表になったのは、つぎのようなニュースである。

 けふ帝都に敵機襲来/九機を撃墜.わが損害軽微
  東部軍司令部発表(十八日午後二時)
  1 午後○時三〇分ごろ敵機数方向より京浜地力に来襲せるも.我が空地
   両航空部隊の反撃を受け、逐次退散中なり。現在までに判明せる敵機撃
   墜数は九機にして我が方の損害軽微なる模様、皇室は御安泰に亙らせら
   る。   (『朝日新聞』昭17・4・18夕刊 註・当時の夕刊は翌日付)

 このニュースの中で、敵機撃墜数九機とあるのは、まったくの虚偽である。日本防空陣は、一機も撃墜できなかった。そのことについては.後述する。
 冷静をよそおった嘘の報道の背後には、本土初空製に狼狽した当局が、情報管制の措置に出て、懸命に治安維持を画策した事実があった。

(極秘)
   電話通牒 昭和十七年四月十九日      内務省警保局保安課長
  各府県警察部長殿
   空襲ニ伴フ言論ノ指導取締ニ関スル件
  本月十八日ノ帝都其他ニ対スル敵機空襲ニ当リテハ防空関係方面ハ勿論
  一般国民ノ沈着適切ナル処置ニ依リ被害ヲ最少限度ニ止ムルコトヲ得民
  心ハ極メテ平静ニシテ治安上何等ノ動揺ナキ状況ナリ
  然レドモ目下選挙期間(註・翼賛選挙──引用者)中ナル関係モアリテ
  空襲ニ関シ兎角ノ批判等ヲナスモノアルベシト予想セラルヲ以テ之等言
  論ニ付テハ先ニ縷々指示セラレタル方針ニ依ルノ外特ニ左記諸点ニ注意
  シ万遺漏ナキヲ期セラレ度比段及依命通牒
 記
一、 今回ノ空襲ニ当リ防空各機関ノ取レル処置ハ機敏ニシテ一般国民ハ極メ
  テ沈着各部署ニ就キ被害ヲ最小限度ニ止メ得タルモノナルニ付指導取締
  上此ノ点ヲ特ニ留意スルコト
二、 当局ノ発表ヲ信頼シ巷間流布セラルル風説等ニ惑ワサレザルト共ニ総テ
  言論ハ協力的建設的ナル如ク指導スルコト
三、 防空警備等ノ関係者ハ特ニ其ノ言動ヲ慎ミ仮初ニモ一般ニ対シ悪影響ヲ
  及ボス虞アル言辞ナキ様注意スルコト
四、左記諸点ハ厳重之ヲ取締ルコト
(1) 苟モ防空当局ノ処置ヲ非難シ又ハ防空施設ニ兎角ノ批判ヲ加フ
   ル等国論ノ不統一ヲ招来シ或ハ之ニ対スル国民ノ信頼ヲ稀薄ナ
   ラシムル虞アルモノ
(2) 被害ノ状況ヲ誇大ニ吹聴スルモノ
(3) 敵機ノ基地等ニ就キ紊リニ憶測ヲ加へ対ソ関係ヲ刺戟スルガ如キモノ

 警保局外発甲第五〇号(原文はカタカナ書き)
   唱和十七年五月七日 内務省警保局長
 各庁府県長官殿(除東京府)
  空襲時に於ける防諜措置に関する件
  空襲に伴う防諜上の各種取締に就いては格段御留意中のことと信ずるも関
  係各省とも協議の結果爾今概ね左記標準に依り空襲時に於ける防諜措置を
  講ずることと相成候に付取締上遺憾なきを期せられ度
  記
 一、一般取締標準
 (一)空襲時における外出
  (1) 外国人に対しては空襲警報発令中外出を阻止すること、既に外
     出中の者は速やかに自宅に帰らしめ又は状況に依り外出先に止ま
     らしむる等適宜の処置を講ずること
  (2) 監視、警報伝達、消防、救護、避難其他防空上の必要に甚きて
     戸外に出ずるものは右の限りにあらざること
 (二)空襲及其の被害状況の撮影
  (1)外国人の撮影は之を阻止すること
  (2)邦人撮影の場合も其の用途明にして防諜上支障なく且つ特に必
     要ありと認むるものの外阻止すること
  (3)家屋其他の建造物の被害復旧状況の撮影に就き右各号に同じ
 (三)空襲被害場所の立入
  (1)所要の期間外国人の立入を阻止すること
  (2)前号の期間中防空関係者及び被害其の他の関係者以外の立入は
     止むを得ざるもの外立ち入らしめざること
 (四)空襲被害に因る死亡者の葬儀
  (1) 死亡通知、回章、葬儀通知、弔慰文其の他関係文書に就いては
     空襲被害の状況又は程度は之を推知せしむるが如き内容と雖も記
     載せしめざること(例えば一工場に於いて死者多数ある場合に其
     の合同葬の通知は死亡事実のみに止め死亡の状況及死亡者の数に
     ついては言及せしめざるが如し、個人の場合は当該本人の死亡事
     実のみに止むること)
  (2) 会社又は工場関係者の葬儀を会社又は工場に於て主催執行する
     場合は参列者を当該会社、工場の内部の者及び死者の親族に限定
     すること(例えば工場主催の葬儀に於いては参列者を当該工場従
     業員、死者の親族の外は所属会社、系列産業報国会等の役職員お
     跳び監督官庁の範囲に限定数が如し)
  (3) 同一会杜工場内に於いて死者数名ある場合に合同葬儀を行うは
     さしつかえなきも数個の会社又は工場合併して連合葬を執行する
     は差し控えしむること
  (4) 警防団又は学校等主催して葬儀を執行する場合も右(2)(3)
     に準じ警防分団(分団なきものは警防団)又は一校等を単位とせ
     しむること
  (5) 一般市町村民死亡し公葬を行う場合は市町村葬等は之を避け町
     内会葬又は部落会葬の程度に止めしむること
  (6) 葬儀執行に就いては当局の発表以外は新聞紙又は出版物に掲載
     せしめざる様指導すること

 二、外国公館取締標準
 (一)敵国公館(新交国公館を含む)に対する措置
  (1) 警戒警報発令中は館員の出入を禁止すること
  (2) 警戒警報発令後速に防火資材の所在場所を警察官に通知せしむること
  (3) 空襲警報発令中は必要に応じ制服警察官を構内に配置すること
  (4) 空襲警報発令中は防空上の必要に基くもの以外館員をして屋上、物干
     又は庭園等に立出しめざること
  (5) 灯火管制に付特に留意せしめ担当責任者を定めしむること
  (6) 避難所として適当なる場所を準備せしむること
 (二)敵国以外の外国公館に対する措置
  (1) 空襲警報発令中は当局の許諾を得たる場合の外館員の外出を禁ずること
  (2) 外出中の者に就ては速に帰館若は帰宅せしむるか又は状況に依り外出先
     に止まらしめ濫に徘徊せしめざること
  (『極秘参考資料 自唱和十六年七月至十八年一月』内務省警保局・謄写印刷綴)

 ここで、初空襲の報道を『朝日新聞』以外の各紙によって整理しておこう。

  京浜地方に敵機空襲/九機撃墜我方損害軽微
  東部軍司令部では十八日の京浜地方敵機空襲につき午後一時五十七分左の
  如く発表同時にラジオ放送した
   午後零時三十分頃敵機数方向より京浜地方に来襲せるもわが空、地両防
   空部隊の反撃を受け逐次退散中なり、現在まてに判明せる撃墜数九機に
   してわが方の損害は軽微なる模様なり、
   皇室は御安泰にわたらせらる     (『読売新聞』昭17・4・19)

  名古屋、神戸で小被害/西部では侵襲に失敗/機銃掃射にも損害なし
  中部軍司令部発表(十八日午後三時)(一)本日午後一時三十分頃敵機二機名古屋を空襲し爆撃せるも被害軽微なり(二)午後二時三十分頃敵機一機神戸を空襲し焼夷弾を投下せるも大なる被害なし(三)国民諸子は今こそ勇戦奮闘し防空必勝を期すべし
  中部軍司令部発表(十八日午後四時)(一)名古屋付近には六ヶ所に焼夷弾を投下せるも目下殆ど鎮火せり(二)神戸には三ヶ所に焼夷弾一個宛投下せるも目下鎮火せり(三)三重県四日市および和歌山県下の地方農村に機関銃射撃を加えたるもわが損害なし
  西部軍司令部発表(十八日午後六時三〇分)
 (一) 帝国国土東部、中部地方に対し敵機若干は初めて空襲来りたるも損害僅少なり(二)その一機午後三時頃四国室戸岬南東海上に現出せるをもつて軍は直ちに空襲警報を発令せるも敵機は全管下防衛の適切なる手段により遂に管内に侵襲する能はず遁走せり(三)管内国民は一層警戒を厳にし特に防衛態勢の確立を促進すると共にいよいよ訓練を適切ならしめ以て敵の再来に万全を尽さんことを望む       (『東京日々新聞』昭17・4・19)

 戦後の資料だが、河出書房新社の『近代子ども史年表』(2002.4)には該当の日時の項に「16機の米軍機が東京・川崎など本土を初空襲。川崎で児童1人が機銃掃射により死亡、早稲田中学の校庭で小島茂(16才)が死亡。」とある。かなり眉唾ものの記述である。こんな文が通用しているのは、当時の報道管制や当局の資料隠滅の結果だろう。日本の近代史には誤った記述が多い。

 さて、十六機のドゥリットル爆撃隊は、何の妨害もなくやすやすと本土上空に達した。
 攻撃目標は軍事施設である。十三機が東京を目指し、名古屋、大阪、神戸へは三機が向った。大阪を目標にした一機は、間違って名古屋を空襲した。爆撃機は一機の被害もなく、無事に攻撃を完了する。後は、スチュエル将軍の指揮下にある中国の航空基地へ帰還するだけである。大成功だ。残っている燃料で十分間に合うだろう。隊員たちはほっと一息ついた。皮肉なことに、爆撃隊の苦難は、この帰還の際に生じた。
 中国との受け入れ交渉がスムースに成立しなかったため、十六機の爆撃隊機は、四機が真っ暗闇の麗水飛行場に強行着陸、九機は落下傘による脱出と不時着水、一機はソ連基地に着陸した。残る二機は、日本占領地域に着陸したため、飛行機から脱出した八名の乗務員は日本軍に捕らえられた。この時に、二名の死亡者が出た。中国側に着陸できた隊員の中からも三名の死者が出た。
 爆撃隊員八十名中(一機に五名)五名が死亡、八名が捕虜、六十七名が生還した、という計算になる。「計算になる」と書いたのは、月本側の資料やアメリカの資料(例えば『太平洋戦争米国海軍作戦史』、『東京上空三〇秒』など)によっても、不鮮明であるからだ。空襲被害の公式記録もないようである。
 ハルゼーの機動部隊は、一艦の損失もなく四月二十五日に、真珠湾へ帰投した。
 以上が、本土初空襲の概略である。   (以下次号)

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