学生諸君へ
第13回 タコ

夏休みだから、ファンタジーをおくろう。30年ほど前に発表したものに加筆した。

タコ

 海ばたの町はずれに村がありました。町からそこへは、でこぼこ道が通じていました。その道の突き当たりには、網元の大きな屋敷がありました。網元は世の無常にもてあそばれて零落し、屋敷も火災にあって、潰れてしまいました。正確なその間の事情は、誰も知りません。
 つぎのような風説があります。
 網元には娘がいました。成人して縁談がまとまりました。相手の青年と海岸を散歩する姿を、よく見かけたそうです。ところが、そんな散歩のある時、どうしたことか、青年が崖から海へ転落し大怪我をしました。生命はとりとめましたが、片腕と思考力の一部を失いました。そして娘は、結婚式の前夜に家出してしまいました。その時、部屋の行灯が倒れました。娘はもちろん、家の人も、それに気づきませんでしたので、火を発見した時は、もう手がつけられない状態でした。おりからの強風で、あっという間に屋敷は燃え落ちてしまったのです。網元と、婿になる筈だった青年は、逃げ遅れて焼死したとか、火傷だけで助かったとか、何故前夜から青年が泊まり込んでいたのか、とかいろいろ言われました。よくある話です。
 イヤ、それはちがう。真相はこうだ、と言う人がいました。
 病弱だった妻を亡くした網元が、一念発起。娘ほども年齢がちがう後添いをもらいました。ところが彼女は、若い使用人と駆け落ちしてしまいました。現金をつめこんだ鞄を抱き、産まれたばかりの双生児は置き捨てて。落魄の網元は、事業への情熱もなくし、町の女から悪い病気をうつされて気がふれ、我が家に放火して焼死したそうです。よく聞く話です。
 いずれにせよ、網元の家は没落し、その頃から村に続く道はでこぼこが目立つようになりました。道を歩く人は、道を歩くたびに、すこしづつ前屈みの姿勢になり、心がでこぼこになってゆきました。なにか悪いことがあると、なんでもすぐ、でこぼこ道のせいにして過去を反省することを忘れました。礼儀や道徳は悪習として、忘れてしまいました。だからますます、道はでこぼこになりました。
 前置きが長くなりましたが、「タコ」の話は以上のような風説のある、海のそばの町はずれの村に、引っ越してきた一家の話です。
 その一家は、老夫婦とその孫のような双生児の姉妹でした。片うでの老人は顔の半分が火傷で引きつれていました。老女は目の障害者でした。姉妹は老夫婦を「おじさん」「おばさん」と呼んでいました。一家には、小さな古いスタンドピアノが一台ありました。夕陽が海に沈むころ、姉妹はピアノを弾きました。目が見えない老女の指導です。彼女自身は両手が焼き潰れていて弾けません。姉妹のピアノは、ときどき弾き直しで音が切れましたが、みごとな演奏でした。
 老人は、いつも一枚の図面を拡げて見つめていました。折り目が切れそうな、その図面は大きな家の設計図でした。
 でこぼこ道は、雨のたびにすごい泥んこの道に変貌しました。人々は、そんな道の愚痴をいいながら、さりとて他に行くところもなく、不満をくすぶらせて生活していました。水のない花瓶の中で、すっかり花がしおれているような毎日が繰り返されました。
 ところが、どうしたのでしょうか。最近、にわかに引っ越しをする家がふえてきました。道ばたの家はどんどんからっぽになりました。やがて原因がわかりました。
 ある日、町の不動産屋が姉妹の家へ、菓子折を持って現れたのです。彼は、このあたりを、買い占めているのでした。
 一家に家を売る意志がまったくないことを知ると、不動産屋はまた菓子折を持って、でこぼこ道を町へ帰って行きました。
 陽がちょうど落ちて、姉妹のピアノの音が響きわたりました。急に不動産屋は、自分のしていることに腹をたてました。
 その夜は、明け方まで、磯の香が風にのって防風林の梢とおにごっこをしていました。
 姉妹が秋の芸術祭のピアノコンクールで特別賞を取った日です。村にブルトーザが何台も現れました。そして空き家のとりこわしと道路の舗装工事がはじまったのです。
 あっという間に海岸に石油化学コンビナートが出現し、でこぼこ道が、そこへの主要道路になりました。それからのことは、おさだまりの経路です。激しく行き交う自動車と林立する煙突から、悪臭がただよいました。道ばたには、夜間に道路へはい出したカニが、車にひきつぶされて、たくさん死んでいました。もう姉妹の家からピアノの音が聞こえないほど、あたりは騒音で一杯でした。
 姉妹は天才姉妹といわれて、すっかり有名になりました。
 家の前の自動車の洪水も、いよいよ激しくなりました。
 おじさん、おばさんが、激しく咳き込むようになりました。もう、此処は人の住むのにふさわしいところでなくなりました。
 引っ越しをしようか、一家は相談しました。そんな相談があった晩は、おじさんの図面とのにらめっっこが、いつもより長くなりました。姉妹は、それに気づいていましたから、引っ越しは、なかなか出来ませんでした。
 春になりました。おじさんに、外国から手紙が届きました。おじさんは、黙ってその便りを読みました。そして、お前たちのことが書いてある、と言って、ある部分を引きちぎって、差し出しました。それには、こう書いてありました。
 ……いまごろになって、天罰がくだりました。もうこの病気からわたしは解放されないでしょう。心は老いた私のからだをベッドに残して、さっさと故国へ、なつかしい海岸へ、帰ってしまったようです。二人のことは、こちらでも評判です。おっしゃるとおりに、こちらに呼んで勉強させたいのですが、もう不可能です。それで、うめあわせにプレゼントします。どうかわたしを許して、受け……
 おじさんは、手紙を丸めて庭へ出て行きました。しばらくして、庭の一角がぼっと明るくなり、煙が流れてきました。おじさん、おばさんの目から涙がこぼれました。
 絶対に忘れてはいけないことは、話してはいけません。
 夏になりました。ある日、大きな荷物が外国から届きました。ピカピカのグランドピアノでした。姉妹は大喜びです。ところが、早速、その晩から困ったことが生じました。家が狭くてピアノに居間を占拠されると、家族の寝る場所がなくなってしまったのです。
 とりあえず、その晩は、みんなでピアノの下に夜具を敷き、もぐって休むことにしました。休む前に、姉妹は一曲づつ演奏しました。おばさんは、いつの間にか正座していました。おじさんは図面をにぎりしめて口をもぐもぐしました。素晴らしい音色です。すべてが透明になりました。そして夜がふけました。みんなはピアノの下にもぐって休みました。
「ずいぶんと天井が低くなって、わたし、巨人になったみたい」
と姉が言いました。
「雨がもるように、ピアノの天井からは音楽がもれてくるわね」
と妹が言いました。
「久しぶりに音をききました」
とおばさんが言いました。ピアノの脚に触れながら……。
 入れ歯をはずしたおじさんは、何もいいませんでした。もう目を閉じていました。

 居眠りトラックが姉妹の家に飛び込んだのは明け方ちかくでした。大きなトラックは玄関を突き破り、居間のピアノに衝突して、やっと止まりました。脚が折れたピアノは、けたたましい音をあげながら、潰れました。
 その下から8本の足がはみ出ていました。


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