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 戦争画や絵巻について、いろいろのべた。今回は奇妙な画帳について話そう。拙著『探書遍歴』でもとりあげたが、その画帳というのは、『聖戦畫帳 戦ふ東條首相』(1943)である。拙著では巻頭に色刷りページをくわえて、取り上げた本のうちの12点については色つきで紹介しているが、本文では、すべてモノクロ写真だから、今ひとつ、原書の迫力が伝わらないきらいがあった。、『聖戦畫帳 戦ふ東條首相』もモノクロで紹介しているから、奇妙さが今ひとつ再現されていない。
 このページでは色つきで紹介できるので、再度、登場ねがったのである。以下の文章は、拙著からの再録で、多少の推敲をしてある。

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 珍妙としかいいようがない一冊の画帳がある。『聖戦畫帖 戰ふ東條首相』である。
 一九四三年四月十五日の発行で、初版五万部・A5判・五五頁・定価二円八〇銭。発行所は博文館で編著者は小田俊與と奥付にある。
 博文館は日本橋にあった出版社で『新青年』の発行元だ。
「新青年」は海外探偵小説の翻訳紹介を中心とした誌面が人気であった。森下雨村や横溝正史などが編集長として名を連ねている。
 幸田文の文章に父幸田露伴が毎月本屋へこの雑誌を買いにいったことが書いてあった。幸田露伴ならほうぼうから献呈本がとどけられ、自腹をきってわざわざ購入しなくてもよかったのじゃないかと思うが、これだけは贈呈されなかったのだそうだ。雨村も正史も、露伴が探偵小説ファンだとは知らなかったのだろう。
 画帳の編著者小田俊與は、敗戦後、社会大衆党などの党首を名乗って衆議院、参議院、東京都知事など、選挙のたびに立候補し落選する、「泡沫候補」の常連だった人物だ。選挙のつど、公報に記載される経歴が微妙に異なるので真偽の程は定かではないが、ある選挙公報によると、一九四二年には「首相秘書官」、つまり東條首相の秘書官をしていたとある。
 頁を開くと「この書を靖国の英霊に捧ぐ」という献辞が靖国神社の絵に添えられている。
 この絵には山下新太郎のサインがある。山下新太郎は有島生馬や石井柏亭らと一水会を結成した洋画家で、一九五五年に文化功労者として表彰された。
 次頁は「戦捷の祈願」で、二重橋前で祈願している人たちが熊岡美彦によって描かれている。そして「日本国民の永劫に忘れえぬ感激の日、昭和十六年十二月八日、宣戦の大詔を拝し奉つた民草の群れは、続々と二重橋前の御廣場に跪き……」といった文章がある。熊岡美彦も洋画家で、帝、文展の審査員をつとめていた。
 さらに頁をくると外務大臣・情報局総裁谷正之の書「至誠奉公」と国務大臣・大政翼賛会副総裁安藤紀三郎の書「蹇々匪窮」(けんけんひきゅう・困難に屈せず忠義をつくすさま)がある。そして次頁が目次である。
 この目次から装丁関係者を拾うと、題字カット・鳥海青児(独立美術協会員)、表紙・有島生馬、見返し・木下孝則(文展審査員)、扉・目次カット・山下新太郎、中扉・池部釣(文展審査員)とそうそうたる人物ばかりである。池部釣は俳優池部良の父。有島武郎の弟・有島生馬は紹介するまでもないだろう。
 書中には小田俊與の作詞した歌や詩があり、土井晩翠や高橋掬太郎の詩もある。
 参集している画家たちが、これまた壮観である。それらの画家を列記する。小磯良平、南薫造、今村俊夫、石井柏亭、三上知治、内田武夫、上田直次、石川寅治、田辺至、高井貞二、三芳悌吉、吉田貫三郎、内田巌、鳥海青児、松野一夫、大淵武夫、西原比呂志 脇田和、多々羅義雄、
清水良雄。(二〇名)

 上記以外の詳細は拙著にゆずって、以下に絵をいくつか紹介する。

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