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 世に写真家と呼ばれる人たちがいる。国語辞典によれば写真家とは「作品としての写真をとることを職業としている人」と定義されている。わかったような定義だが、「作品として」という部分が肝要なんだろう。「写真をとることを職業としている人」を写真家と定義すれば、町の写真館で見合い写真や753写真をとる写真屋さんまで網羅してしまうからだろう。手軽なカメラの出現で、そんな写真館もすくなくなった。しかし、作品と商品の差は何だ、と反問したくなる。
 定義となると、何事もややっこしくなる。堅苦しいことを抜きにしていえば、ポルノ映像界の革命児などといわれている「あらーき」こと、荒木経惟(あらきのぶよし)や出生地に記念写真館を設立した土門拳(どもんけん)などが、いわゆる写真家だろう。東京恵比寿にある写真美術館には、さまざまな作品が展示されているが、それらの写真を撮影した人たちが写真家だろう。わたしが住む地区の職業別電話帳を開くと「写真家」のページには200名ほどの名前が並んでいて、加納典明、中村正也、立木義浩などの名がある。
 わたしが注目している現代の写真家は『山海交響』(2003年)の写真集を発表した原光(1933〜)である。彼はダンテの『神曲』やメルヴィルの『白鯨』を全訳しているし、フランスの詩人のものまで翻訳している語学者でもある詩人だ。そんな彼の撮影した山や海の写真は、何時間眺めていてもあきない。

 そこで、これから戦時下の写真家について考察しよう。この分野の研究は、これまでおろそかにされてきたきらいがある。いろいろな理由があるのだろうが、その詮索はしない。昭和18年版の『現代出版文化人総覧』(日本出版文化協会監修)に、「寫眞」の項目がある。そこに32名の写真家名がるので転記しよう。彼等が、戦時下の写真家であると考えられるからである。この選択には異議があるだろう。報道写真や映画撮影などのカメラマンだって、れっきとした写真家と考えられるからだ。それはさておき、32名を列記する。
 猪野喜三郎、板垣鷹穂、稲葉信龍、小川晴暢、岡田紅陽、金丸重嶺、鎌田弥寿治、唐澤純正、喜志義一、北野邦雄、佐和九郎、柴崎高陽、清水透、下島勝信、杉山吉良、鈴木八郎、塚本閤治、寺岡徳二、土門拳、中山岩太、成沢玲川、林謙一、福田勝治、福原信三、冬木健之介、眞継不二夫、松野志気雄、光墨弘、森芳太郎、吉田速男、渡辺勉、渡辺義雄。
 何人の写真家を知っているだろうか。
 戦時下のグラビア雑誌が正確に何冊あったのかは知らない。しかし、「アサヒグラフ」「写真週報」などを筆頭に、写真愛好家を対象にしたカメラ商業雑誌は、かなりあっただろうと、推測出来る。『本が弾丸だったころ』(1966年)を上梓した際、昭和18年版の『現代出版文化人総覧』で当時の主要雑誌226誌を調べたが、そこには「アサヒグラフ」「国民科学グラフ」「写真文化」「報道写真」の4誌があった。余談だが、『本が弾丸だったころ』は、その年度の外題大賞を授賞した。椎名誠の推薦で、もちろん、本のなかみにはまったく関係無い賞である。

 本信の「歌と戦争」が終わったので、次回から、本信で「戦時下の写真」と題して、これまであまり語られなかった戦時下の写真家についてのべよう。これは、その予備知識のために「学生欄」で取り上げた。


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