学生諸君へ
忘却のメディア

 気がかりな事例を、まず二つあげよう。

 1 自衛隊の海外派遣反対のチラシを配った人たちが、住居侵入容疑で逮捕された。
 彼らは75日にわたって勾留され取り調べられた。その間、警察は彼らの自宅まで家宅捜索した。裁判で無罪になったが、控訴され、事件は未解決である。

 2 東京都の教育委員会は、学校での君が代斉唱時の声量指導をしている。生徒たちよ、君が代を声高らかに歌え、教師はそのように指導せよというわけである。わたしは直立不動の姿勢で君が代を斉唱しなかったために、訓導から往復ピンタをもらって講堂の床に吹っ飛んだ戦時中の教育を、頬に残る傷跡をさすりながら思い出した。

 これらの二例は、権力が表現の自由や個人の良心を弾圧しはじめた証しである。
 最近巷間をにぎわしたマスメディアのNHKと朝日新聞との騒動にも、表現の自由を弾圧しようと目論む権力側の意図が見え見えである。
 表現の自由は日本国憲法で保障されている。思想や良心の自由は侵してはならいのだ。これは私たちの基本的な権利だが、それが弾圧され蹂躙されているのである。
 メディアの生命は「反権力」である。政治権力や無責任な官僚の動向をチェックして公開し「ノー」といえるスタンスをなくしたメディアは権力や官僚の宣伝広告にすぎない。そうなったら(なりつつあると思うが)、どのような事態になるか。メディアはそのことを認識して、もっと反権力の報道をしなければいけない。
「人権擁護法案」が再提出され、成立しそうだ。この法案には犯罪被害者への過度の取材を規制すると称する「報道関係条項」と法務省外局の「人権委員会」があって、一度は反対され廃案になったとんでもないものだ。「犯罪被害者」、「過度の取材」などの内容が曖昧で、恣意的に運用されたら、権力への取材は不可能になるからだ。「人権委員会」は同僚同士で職務をチェックする委員会。馴れ合いで監視など出来っこないからだ。かてて加えて、憲法改正の手続きをさだめる法案と称する「国民投票法案」が浮上している。この法案に寄れば、「何人も国民投票の結果に影響を及ぼす目的をもって新聞紙または雑誌に対する編集その他経営上の特殊の地位を利用して当該新聞紙または雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載しまたは掲載させることができない」のだ。
 このようなきな臭い状況(きな臭いどころか、チョロチョロ火の粉が見える)にもかかわらず、マスコミは全く静かなものである。責任を曖昧にし、過去(歴史)から何も学ばなかった忘却のツケが、このような状況を現出してしまったのだ。
 たかだか60年前のことだが、放送や新聞が国家の走狗となってどのような報道をしたのか忘却を掘り起こしてみよう。
 
 毎年、3月になると季語のように「東京大空襲」のことがマスコミに登場する。今年もそんな状況だった。まあ、その時期だけでも思い出すのは悪いことではない。しかし、それも季節のうつろいと共に、直ぐ忘れられてしまう。
 信濃毎日新聞の主筆であった桐生悠々が、「関東防空大演習を嗤う」を発表して軍部の本土防衛計画を批判したのは1933年のことであった。彼は、その記事がもとで軍部に弾圧され職を失うが、彼の指摘が正しかったことは10年後に立証された。
 1943年4月18日(土)の真っ昼間、東京上空に敵機(ドウリットル中佐の指揮するアメリカ爆撃隊16機)があらわれ空襲を敢行した。いわゆる日本初空襲である。正確にのべれば、日本本土を敵機が侵犯したのは1938年5月20日、熊本県、宮崎県の上空に現れた中国機が嚆矢であった。このことが忘れられているのは、中国機が爆弾でなく反戦ビラを投下しただけであったからだろうか。桐生悠々の批判は早くも5年後に立証されていたのだ。
 ハワイへの日本軍の奇襲攻撃に対する報復として、大統領は日本本土の空襲作戦を計画した。ハルゼー海軍少将の指揮するアメリカ海軍第16機動部隊(空母2ほか)が陸軍のノースアメリカンB25爆撃機を搭載して編成された。B25は900キロの爆弾を抱えて航続距離3220キロメートルの性能を持つ爆撃機であった。爆弾を投下してしまえば、航続距離はさらに伸びた。空母が深夜日本沿岸まで近づきB25を飛び立たせれば日本本土を空襲して中国大陸まで逃げ去ることは十分可能である。B25は東京、横浜、大阪、神戸、名古屋などを攻撃して日本に一矢報いる作戦であった。
 日米開戦とともに、日本は空襲を懸念し、東方海上(太平洋側)に哨戒船を配備して敵機動部隊の接近を監視させていた。
 4月18日午前6時30分、日本哨戒船がハルゼー機動部隊を発見した。緊急電報が直ぐ軍司令部に打電された。
 戦闘に勝つためには、相手の力量を見くびらないことが肝要である。
 緒戦の奇襲攻撃の戦果で奢っていた日本軍は、アメリカの力量を見くびった。当時の飛行機の航続距離常識から考えて、発見地点からの長距離爆撃など不可能だ、仮に攻撃を受けるとしてもっと近づいてからだ、明日になるだろう、それまでに、再確認する必要がある、戦意を徹底的に破壊したはずだからまず反撃などあるまい、誤報ではないかと油断したのであった。
 いっぽう、ハルゼーは哨戒船の打電を傍受して、もはや奇襲攻撃は不可能だ日本側は万全の防空体制だろう、と予測した。そして、即座に夜間攻撃作戦を中止しB25を発進した。
 16機のB25は編隊を組まずに、それぞれ単独に低空飛行して日本本土上空に現れた。そして白昼攻撃にもかかわらず奇襲に成功したのである。一機も撃墜されることなくB25爆撃隊は攻撃を終了し、中国大陸を目指して日本上空から消え去った。
 空襲警報が発令されたのは第一弾が投下されてから14分後であった。日本はあわてふためいて大混乱していたのである。
 この空襲の被害は死者45名、負傷者約400名、全焼家屋160戸、半焼家屋129戸。攻撃を受けた地域数十箇所であったが、当時は極秘事項として隠蔽されてしまった。敵影が上空から消え去った午後1時50分に、軍司令部が発表したのは「今日帝都に敵機が来襲したが、わが軍の反撃を受けて退散、わが空・地両航空部隊は敵機9機を撃墜した。わが方の損害は軽微、皇室は安泰だ」といったデマニュースだった。
 それを補強するようなデタラメ関連記事が当時の新聞の夕刊や翌日の紙面をにぎわせた。国民は、その記事を信じて意を強くした。
 朝日新聞の当日の夕刊は、軍司令部のデマ発表と「爆弾落下現場を視察した当局の談話」として「隣組防火班は平素の訓練どおり沈着に消火に任じ、焼夷弾の威力も大したものではなかった」といった記事を掲載した。さらに、翌日の三面には「敵機は燃え墜ち退散/必消の民防空に凱歌」と虚偽の記事を発表した。
 情報局は、国民にはこのような嘘をついておきながら、当日の午後0時30分に、海外放送で「アメリカは日本本土を空襲したが軍事施設は目標にせずもっぱら病院や学校を攻撃した」と人道違反を追及するニュースを全世界に向けていち早くながしている。
 予想外の空襲に狼狽した当局は、懸命に情報規制した。当局の宣伝広告にすぎなかった放送や新聞は、メディアの機能を完全に放棄して、この初空襲を教訓に国民に警報を発することができなかった。それが3年後の「東京大空襲」の惨状を生みだしたのである。
 周章狼狽した当局の動きは内務省の「極秘資料」『非常措置、通牒、治安対策』で知ることができる。内務省警保局は保安課長名で4月19日、各府県警察部長に「空襲に伴う言論の指導取締」を徹底するよう電話通牒し、防空当局の処置や防空施設への批判、被害の状況を誇大に吹聴するもの、敵機の飛行につきみだりに憶測をするものなどを厳重に取り締まるよう命令した。当時は電話通牒が、一番手っ取り早い伝達手段だったのだ。

 今、行政の権力や官僚は様々な規制・弾圧手段を弄してメディアを管理し、それを宣伝広告の手段にしようとしている。そして過去を忘却しているメディアは、そのことに全く無関心である。利潤の追求にきゅうきゅうとし、垂れ流す情報は、人のプライバシーにかかわることやどうでもよいことばかり。それらを野次馬的にくりかえし報道して、自己の知的怠慢に気付いていない。気付いたとしても、そのことに自己規制のフィールターを掛けてしまう。こんな状況を黙視していていいのだろうか。あぶないあぶない。


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